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スポーツライターの夢

2023.10.19 040
毎日note、今日はちょっと昔のことを書きたい。

小学生の頃はプロ野球選手になるのが夢だった。
高学年になると自分の実力が分かり、プロの道は自ら閉ざした。
中学生の頃、競技としての野球はやめて、草野球に講じた。
高校生の頃になると、なぜ中学時代に野球をやらなかったのかと後悔し始めた。
せめて、プロ野球の近くで仕事がしたい。
それなら何が出来そうか。
当時、自分は好きなマンガがあった。
あだち充先生の「H2」というマンガだ。
その中のヒロインのひとりが自分の夢を語った。
「新聞記者」
これだ!
それまでくすんでいた自分に希望の光が差し込んだのであった。
高校3年の春のことだった。

そこから自分の現在の学力と、マスコミ学部専攻の大学を探してみたところ、案の定全然偏差値が足りない。
猛烈に勉強しても届かないというのは理解したが、親と相談をして家庭教師を週に2回つけてもらった。
それまで、クラスでも下から順位を数える方が早かった俺が、先生の言いつけを守って勉強しまくったのと、授業中も今までにないくらい真剣に取り組んでいたので、中間テストで10番、期末テストで5番という成績をあげた。
担任と面談をした際、志望校を伝えると「頑張っても届かないのではないか」ということを淡々と伝えられる。
大学がダメなら専門学校はどうだ?と調べてみると、ちょうどオープンキャンパスがあり、すぐに電話して予約を入れた。
マスコミ学部の先生と面談させて頂く機会があり、その先生は現役のスポーツ新聞の記者さんでもあった。
自分の熱い気持ちをぶつけ、また先生もスポーツ記者のやりがいなどを語ってくれて、気が付くと2時間もの間相手をして頂いた。
帰り道、自分はこの学校でスキルを学び、プロ野球のライターになるんだ!という夢が出来た。

家庭教師の先生にもこの想いを告げて、先生からも心より激励をくださった。
専門学校に通わせて貰いたいと、親にも頭を下げた。
その日から、ノートに文章を殴り書きするという癖をつけた。
(ブログをお読みいただいた方にはわかると思いますが、上達はしておりません)
Numberという雑誌を熟読して、スポーツライターの文章だったり伝え方だったり自分なりに研究してきたつもりで、すっかりやる気に満ち溢れていた。

専門学校に入ってからは毎日が楽しかった。
大学に落ちて仕方なく来た、というやつらばかりで、俺はこいつらと違う、俺はスポーツライターになるためにこの学校に来たのだ!という小さなプライドを持って課題に率先して取り組んでいた。
その中で心を許せる親友たちと出会い、将来の夢を語り合い、取材や課題も競争が出来て、40数年生きて来て専門学校の3年間が一番輝いていた。
あの頃は本当にリア充だったと思うw
(彼女はいなかったけどw)

課題についてもクラスで上位の評価を頂き、3年間常に展示会でプレゼンをさせて頂く機会も与えて貰えた。
おかげで求人の話も、クラスメイトの誰よりも多く話を頂くことが出来た。
それでも。
出版社が少ない関西圏では、スポーツライターという職業を選ぶことが出来ず、編集プロダクションに所属して、修行をしたのち席があればスポーツライターになれるよ、という面接官に何度も言われる。
7社受けさせていただいて7社ともうちにおいでと言って貰えたが、当時絶対にプロ野球の傍で仕事をするんだ!と執着していた俺は全部お断りをさせて頂いた。
(本当生意気だった)

そうしているうちに卒業してしまうことになった。
親が埼玉県に移住しており、東京ならばきっと仕事にありつけるだろうと思い1カ月間職探しさせてほしいと親の所に転がり込んだ。
アルバイト雑誌や新聞広告の求人などを観て、これはと思ったところに履歴書を送りつけた。
その中の1社、絶対に連絡くるわけがないだろうというところから電話がかかって来た。
すぐに面接ということで、親にスーツを借りて乗り込んだ。
まあ記念受験だ、という気楽さから、いかにプロ野球が好きかをべらべら喋った。
そしたらそこに受かってしまった。
スポーツライターではないけど、プロ野球に近い場所。
入社初日で「むいてない」と分かったが、3年間やらないと人様にやったとは言えないなと思ったし、この世界で働くということは貴重だということは分かっていたので、3年間は意地でもやってやる!と思った。
想像していたより楽だけど、月によっては寝れないし、家に帰れない。
でも仕事は楽しい、向いてないけど。
思えば、あの頃に培った「事前準備」だったり「先を予測して行動する」ことは、転職した先でも役に立ったし、何より色んな人と仕事を一緒にすることが出来たので、多少癖のある人とも上手く折り合いをつけられる術を学べた。
ものすごく極端なことを言うと、心では「このやろう、ぶん殴ってやろうか」と思いつつも、「お願いしますよぅ」と笑顔で平気で頭をぺこぺこ下げられる、プライドの捨て方を20代前半で学べたのだ。
これは今でも使える武器だ。

プロ野球選手と友だちになるまでは距離を詰められなかったけど、何度か間近で仕事を一緒にさせて頂く機会もあり、その時はさすがに舞い上がったっけ。
何度かグラウンドの中に降り立つこともあったし、その度に足が震えてしまったっけ。
本当に貴重な3年間だった。

スポーツライターになる夢は叶わなかったけど、もの凄く近い場所で仕事として出来たことは俺の自慢でもあるし、夢は叶うんだって思った。
そして、自分はその時に運を使い果たしてしまった気もするw
その反動からか、再就職をした際仕事に対して夢も目標もなくなってしまった。
感じたことは、小さな目標を積み重ねないと前へ進む原動力にならないということ。
そう考えると、最初の頃は小さな目標が山のように積み重なっており、それをどうやればクリア出来るかを常に考えていた気がする。
それが事前準備をすることにつながったり、先を予測して行動するにつながれたんだと思う。
今もそれは自分の武器となった。

ライターになれなかった証拠として、この文章の終わり方がいまいちわからないので、これで終わりとしよう。