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物書きはやめられない

小説家を名乗るふみぞうは息絶えた

自分が小説を書き始めたのは小学生の頃だ。その後ももくもくと小説を書き続け、大学時代には、暇な時間のほとんどを物語を書くことに費やしていた。

そのおかげでたくさんの仲間との交流を得ることができた。同人誌即売会に初めてサークル参加したのも大学時代だし、一次創作が集まる即売会にも参加したことがある。

インターネット上での交流も盛んに行っていた。大学時代は、まだ常時つなぎ放題というシステムがなく、夜11時以降のみがつなぎ放題になるシステムだったが、ホームページを作成したり、チャットで会話したり、その中で創作談義にも花を咲かせたものだ。

だが、そんな青春も20代半ばには終わりを告げていた。

当時は他のゲームに熱中していたり、その縁で知り合った仲間たちと遊んだりと、創作以外のことを楽しんでいた。
こうなってはもう、創作に割く時間など残されていない。物語を作るということを、自分はしなくなったのである。

だが、一番創作から遠ざかってしまった要因は、物語を書き綴ることで示したいものがなくなってしまったからだろう。

自分を執筆という行為に駆り立てたのは怒りだった。
自分が愛するものが、世間に認められず、嘲笑の対象になっているという憤り。
自分の愛するもの、すなわち自分の世界で重要なものを、世間に知ってもらいたいという叫びをあげていたのかもしれない。

だが、歳をとるとしだいに激情も収まってくる。
するとどうなるか。
見出しの状況に至る、というわけだ。

それでも文章の海を漂いたい

今でも時々、物語を作りたいと小説を書くことがある。
だが、筆が走っても、その先に物語を紡ぎだせなくなっている。
あえてあいまいな言い方をすれば、魂がこもらないのだ。ただ、何か稚拙な、文章の塊を書き連ねているだけにすぎなくなっている。

しかし、そんな状態になってもなお、筆を折ることはできないのだ。
本を読む側ではなく、書く側として、無限に広がっている文章の海を漂いたいと考えてしまう。
物語を紡げなくなっても、なんとかしてこの海の中に居続けたいと思ってしまうのである。

物語を作らなくなった頃とほぼ同じ頃に、故郷の紹介をするために地域情報紙を作るようになった。取材し、写真を撮り、記事を書く。完成した原稿を、印刷して発行する。
記事を書くことで、物を書く、何かを伝える、という行為は達成されている。結果として、物語を書きたいとくすぶる思いをガス抜きしていたようだ。

だが今、地域情報紙の原稿執筆だけでは足りなくなっているのを感じる。
地域情報紙は、当然ながらその故郷のことを書く。
だが、自分の世界を表現しきるには、それだけでは足りないのだ。
だからこそ、毎月発行している地域情報紙に記した文章量では満足できなくなっているのだろう。

足りない部分を補う必要がある。
だからこそ、何カ月も放置され、埃をかぶっていたnoteに戻ってきた。

無理せず、自分の思いを吐き出したくなった時に、この場所にそれを書き綴りたい。
まだまだ、文章の海を泳ぐ時間は続いていく。

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