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『パンセ』目次および解題

前回、『パンセ』(由木康訳、白泉社)の「解説」(田中小実昌著)、その文章を紹介していたときに、次のような文章に出くわしました。以下、改めて引用させて頂きますm(__)m

この『パンセ』を、たくさんの人たちが読んでくださるとうれしいけれども、徳川家康についての小説を読んで、経営の参考にしようなんて人は、『パンセ』を読んでも無駄であろう。そんなことは書いていないからだ。

『パンセ』(由木康訳、白泉社)解説 より引用

上記、文章は、いわゆる『パンセ』はビジネスマン向けの自己啓発本でもなければハウツー本でもないし、吉川英治や司馬遼太郎の作品が、会社経営をしている方々に多くの愛読者を持ち、それを部下にも読むように勧めたり…といった潮流に属する本ではないと、わたしも思います。

それでも、お疑いの方が、いらっしゃいましたらば、ぜひ、書店や図書館にて、お手に取っていただき、まずは「目次」に目を落して頂きたく思います。全14編ある構成になっておりますが、その半分は、キリスト教関係の記述で埋まっています。以下、その後半部分の「目次」、章立てを引用しておきます。



第七編 キリスト教の教理
     人間の矛盾と神の知恵
     原罪 
     「自我」と二つの邪欲
     考える肢体
     キリスト教の道徳
     贖罪と恩恵
     イエス・キリストによって知られる神
     イエスの秘儀
第八編 宗教の「基礎」の不可分
     「二つの相反する論拠」
     「宗教の知恵とおろかさ」
第九編 諸宗教
     「中国史」
     「マホメット」
     「ユダヤ教の永続性」
第十編 表徴
第十一編 予言
     ヤコブ
     イサク
     ダニエル
     メシア
第十二編 イエス・キリストの証拠
     偉大の三つの秩序
     福音書の文体
     使徒
第十三編 奇跡の原則
     イエス・キリストの奇跡
     「聖なるいばら」の奇跡
第十四編 教会の分裂
     教皇
     ジェスイット
     蓋然論
     宗教裁判
     『プロヴァンシアル』覚え書

      

『パンセ』(由木康訳、白泉社)より引用

これにて、ビジネスマンの立身出世には役立ちそうにない旨、ご理解を賜ったと思われますので、続いて、本書の巻末にある「解題」と称された文章、タイトルは「パスカル『パンセ』」、著者は広田昌義氏です。

この「広田昌義」氏、はじめて拝見するような…存じ上げているような…漠然と記憶にあるお名前のような気もしながら、ググってみましたらば、Wikiの日本語版に紹介されておりました。

これは私の個人的な読書体験からですが『寝るまえ5分のパスカル』という1冊、コレージュ・ド・フランス教授のアントワーヌ・コンパニョン著の1冊が、わたしが以前に所有していた書籍でして、そちらは友人に寄贈用で購入したのですが…こちらの本です。

あと、この広田氏は、2024年1月18日に、お亡くなりになっていらっしゃいますね…ご冥福をお祈り申し上げます。

さて、故人による「忘れ形見」のような文章が「解題」と称して残されておりますので、そちら8ページありますので、すべてを引用する訳には参りませんので、わたくしの独断と偏見にて、恣意的に、取り上げさせて頂きますことを、どうかご容赦くださいませ...。

 ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal,1623~62)が生前に執筆を企てていた著作の草稿を取りまとめたものが『パンセ』とよばれる書物である。しかし、この書物が今日見られるような形態をとるまでは、長く複雑な経緯がある。
 パスカルがキリスト教についての大著を準備していたことは、家族をはじめとして周囲の人たちにはよく知られていることであった。彼はその内容について、友人たちの前で講演も行っていたのである。したがって死後ただちに、残された草稿の整理が行われたし、また各方面から出版への期待が寄せられたであろうことは想像に難くない。ところが『パンセ』初版が公刊されたのは1670年であるから、パスカルの没後8年が経過している。これには、二つの大きな理由があったと考えられる。
 一つは、残されていた草稿の状態である。草稿といっても、そのまま印刷に付しうる状態のものではなく、大小さまざまな紙片の上になされた走り書きの断章が大部分であり、そのうえ抹消や付加などパスカルの推敲の跡がそのまま残されているので、判読はけっして容易ではない。そこで、まず草稿を読みやすいかたちに清書した、写本を作る必要があった。現在、パリの国立図書館に『パンセ』の二つの写本が保存されているが、これはおそらく、パスカルの姉ジルベルト、親友ロアネーズ公爵などが中心となって、非常な労苦と長い月日をかけて完成させたものであろう。ジルベルトの長男エチエンヌ・ペリエは、『パンセ』初版の序文で、草稿のすべてが「まことに不完全できわめて読みにくく書かれていたので、それを解読するために非常な労苦が重ねられた」と述べている。写本が完成すると、次に起きるのは、断章配列の問題である。草稿が乱されたときの状態を再現した写本をそのまま印刷に付すか、パスカルが考えていたであろう筋書きを推定しそれにそって守備整った配列を与えるか、の二つがまず考えられ、いったんは後者の案が取られることになってそのための作業が開始されたのであるが、結局のところ放棄される。最終的には、断章を取捨選択して、当時の読者が理解しやすいようなかたちで主題別に配列するということに落ち着いて、その方針のもとに出版許可が取られたのが1666年12月である。このときの初版の題名『キリスト教と他のいくつかの主題についてのパスカル氏の思想(パンセ)』が決定された。この後、初版刊行までになお4年を待たねばならぬ。
 『パンセ』初版刊行の遅延のもう一つの理由として、当時の宗教論争との関わりが考えられる。パスカルが残した草稿の出版を具体化するために、1664年(あるいは1665年)に編纂委員会がつくられるが、その主要メンバーであるアントワール・アルノーとピエール・ニコルは、恩寵に関する教義問題を発端とするカトリック教会内部での対立・抗争の中心人物であった。この対立・抗争は、パスカルの死の前後から深刻な政治問題となっており、1666年頃からアルノーとニコルは官憲の追及の手を逃れて身を隠すという事態になっていたのである。このために遅れていた編集作業が軌道にのりはじめるのは、1667年7月にあたらしく教皇に即位したクレメンス九世が、教会内部の抗争に関して宥和政策を取りはじめてからのことである。1668年には、いわゆる「教会平和令」が決定され、同年10月にルイ14世に引見を許されたアルノーは公的生活に復帰する。この時期から『パンセ』刊行に向けての編纂委員会の活動が精力的に行われたと推測される。

『パンセ』(由木康訳、白泉社)解題 より引用

少しばかり長文でしたが、本国フランスでは、パスカルの死後8年を経た後に出版された…という、その紆余曲折について書かれていた箇所を、頑張って書き写してみました。この文章をかいたご本人が、2024年1月に他界されたと知ってしまったので、何か、彼の残したものを、より多く残さなくては…という気持ちにさせられました。こちらの引用、ご一読の労を頂戴しました皆さまへ、心より感謝申し上げますm(__)m

さて…今回の投稿記事が3,000文字を超えて参りました。
わたしの理想は、2,000文字以内なので、少しばかり「引用」が長すぎたようです。申し訳ございません。
最後に、あと少しだけ、広田昌義氏の文章を引用する、この私を、お許しくださいませ...。

由木康訳『パンセ』は、日本における最初の『パンセ』完訳本として定評がある。訳者は東中野教会の牧師をつとめ、キリスト教神学についての研究を重ねていた。それに加えて、透明暢達な文体の持ち主であった。1938年に白水社から刊行した抄訳『パスカル瞑想録』(ブランシュヴィック版の924の断章から514が選ばれている)はベストセラーとなり増版が間に合わないほどであったという。この時期までの『パンセ』日本語訳としては、ブランシェヴィック版『パンセ』第1部~第3部から212の断章を翻訳した広瀬青波の「パスカルのパンセ」(雑誌「日本及日本人」524号、明治43年1月1日から、546号、同年11月15日まで断続的に掲載)、ポール・ロワイヤル版とロシェ版からの断章を主とし、ブランシュヴィック版の断章をも加えた前田長太郎『バスカル随想録』(大正3年)、ミショー版の英語訳を底本にした加藤一夫『パスカル随想録』(大正10年)、ブランシュヴィック版の英訳本によった柳田泉訳『パスカル感想録』(大正12年)などがあった。むろん、いずれも抄訳である。これらの貴重な訳業のいくつかは、文体にいささか難があったことは否めない。由木康も、『パンセ』を「なんどか邦訳で読みかけたことはあったが、そのぎこちない文体に怖気づいて中途で投げ出してしまった」と回顧している(『私のパスカル体験』春秋社、昭和56年)。由木康の平易で的確な日本語表現による新訳が当時どれほど新鮮に感じられたかが想像できる。1938年の抄訳から、完訳本『パンセ』刊行までは、ほぼ10年の歳月を要した。由木康は1940年の夏には全訳を完訳したのであるが、第二次大戦による社会的混乱のために、上巻が1943年に出版されたままで中断された。『パンセ』完訳本上・下二巻が揃って白水社から刊行されたのは、1948年のことである。広瀬青波がブランシュヴィック版『パンセ』の断章を日本に紹介してから、35年後ということになる。完訳本『パンセ』は版を重ねて、1978年に、訳者の生前最後の改訂版が公刊された。その「まえがき」は次のような言葉で終わっている。
「この版が今までの版にまさって多くの人々に親しまれ、新しい日本の精神的基盤として必要な、深い思想の源泉となることを願って止まない。」

『パンセ』(由木康訳、白泉社)解題 より引用

今回の投稿は4,000文字を超えました。
長文となりました。
ご一読の労を賜りましたことを、心から感謝致します。

次回からは、いよいよ、由木康訳『パンセ』の本文に入って参ります。

では、またの機会に、お元気で。

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くり坊
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