人の気持ちは分からないものだがせめて二割を理解することが大事
医学博士で作家の渡辺淳一の小説は、自らの札幌医大整形外科に医師として勤務していた経験に基づく描写が迫真に満ちていて、そのリアルな内容が多くの読者を惹きつける。
彼はある雑誌の特集で、ガンの手術を受けた外科医の友人の『自身が手術を受ける側になったとき初めて患者の苦しみが分かった。何気なく"頑張れ"なんて言っていたが、切られる方は、まさに死ぬ思いなんだな。』という発言による気づきを語っている。
患者の本当の苦しみは自分が患者にならなければわからないように、人の苦しみや哀しみは、自分がその立場にならないと分からないものだ。
日本人が、毎日、面白いことがない、あれもしたい、これもしたい、食べたい飲みたいと、不満を漏らしながら遊びまわっている中で、戦火に苦しむウクライナの人達の苦しみや哀しみをどれだけ理解することができるだろうか。
これは実に難しい。
他人の苦しみを自分のことに置き換え、その二割でも考えられるようなら真の友人であり、五割をも考えられるようなら聖人の域、全て分かるのは神か仏の域だ。
だからといって相手を思いやることや苦しみを理解しようとすることを放棄することは違う。
人を理解するうえで大切なことはその人が置かれている立場や環境は自分のそれとは全く異なるということを認識しておくことだ。
同じような経験をしているとしても、その経験に至った経緯、本人の生い立ちなどは自分のそれとは異なる。
例えば、「友達がいない」と嘆く人でも「最初から友達がいない」人と「高い地位にいた人が地位を喪失すると同時に友達がいなくなった」人は同じ悩みを抱えているが全く別物だ。
テレビに出ずっぱりの芸能人は一見、幸せそうに見えるので自分も同じような幸せな立場になりたいと思っても実は、忙しいがゆえに普通の人が当たり前に享受しているようなことができなかったり、1年後、3年後の仕事が保障されていないという不安と戦っていたりする。
それが幸せかどうかは人によるが、本人が抱えている経験や痛みはその人特有のものだ。
だが、それを分からないからといって理解しようとしないのではなく、話を聞き、想像し、理解しようと試みることで自分の見えないものが見えてくるようになっていく。
こうやって自身の視野を広げていくことで人は成長することができる。
この事を実践し、看護師養成に力を注ぎ、現代の看護システム構築し、白衣の天使と呼ばれた女性、フローレンス・ナイチンゲールは以下のように述べた。
「看護婦は、今まで自分が経験したことの無い痛みや苦しみさえも、患者の身になって感知する感性を、持つように心がけなさい」
この言葉は今でも世界中の看護学校で看護士の心得として教えられている。
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