梅雨明けと、酒の肴の詩人たち
「梅雨が明けたようだ」
とラヂオの声がハイエースの中に流れたのは、休憩中の昼下がりであった。無論、そのことを私は自分なりに昨日感じていたのであるが、それは公園のベンチから眺める昼の月が、近頃では稀有なほどの青空を背にしていたからである。
休みであった昨日は、岩井さん(『月刊かみのやま』編集長・上山市立図書館長)から恵まれた新連載寄稿日の〆切であり、その四枚分の原稿を何とか仕上げたのは昼過ぎであった。これがこののちどのような形になるのか解せぬまま、人の目に触れるものを書く緊張感を久々に感じながら、公園のベンチに佇み、手ずから拵えた焼酎の梅割りに痺れていた。
枝豆でもあればなおのことよろしかったが、酒の肴は真上を通る羽田線のハイウェイで充たされ、さらにその奥に、飛行機が己の飛行機雲を放屁していくのだからおかしくてたまらなかった。
そういえば、すぐ近くに穴守稲荷があるが、稲垣足穂はこの辺りに住んでいたことがあったのだ、『弥勒』をもう一度読み返してみよう。そんなことを思いながら、辻潤や牧野信一、伊達得夫のことなどに思いを馳せる。高橋新吉、西脇さんや一穂さん、亀之助さんや金子光晴もか。詩人たちは、極上の酒の肴となっていた。
無くなりそうな梅割りに、
ーー理想の文章とはなにか…
と問いかけると、
串田孫一、深澤七郎、加藤周一の透明さ。森鷗外と石川淳の重厚さかな。でも、やっぱりドストエフスキーか。
しばらく沈黙したあと、永田耕衣に瞠目し瞑目していた。していたといっても、今もしたままであろう。自分の文学もおぼつかぬまま、影響されっぱなしの日々であるな、と思うと同じく梅割りが無くなった。
そして今日、休憩が終わり会社に戻ると、たまたま煙草を喫み終えた経理の水野さんから、
「大澤さん、いつだったか話してくれた稲垣さんの本、かしてもらえませんか」
とお願いされた。今日も稲垣足穂か、偶然にしてはなにかあるのだろ、帰宅後、しばらく書棚に向き合っていた。