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変わらない日常に変わった私が戻ったのだった

退院後、職場復帰後の方が精神的にしんどい話

考えていることを垂れ流して残していくことに決めた

順を追って、自分のケガからの記録と日記のようにnoteを使ってみたかったんだけど、日々思うことや感じること、考えることが出てくるので、整理することはもはや諦めて、今日わたしが思うことをここに残していくことにします。

産業医って、会社の味方になる医師免許持ってる人ってことなのかな?

仕事復帰をして2週間。復帰できるのかどうなのか分からない辺りから、自分でも心がグッと息苦しくなる感覚が分かっていた。

1番初めに「ストレス感じてるわ〜〜」と思ったのは、産業医とのオンライン面談の時だった。

「仕事復帰に親会社の産業医との面談が必要。お互いに復帰に向けて気をつけることを確認する機会にしたい」と上長に聞いていたので、面談までの2週間くらいの間に、今現在、通院しているリハビリ病院の先生と相談しながら「この重さの荷物を運ぶのは難しいね。この動作は3ヶ月後にできるようにリハビリを進めていく、ということを伝えよう!」など仕事内容を振り返りながら詳細に相談をし、緊張をしながら迎えたオンライン面談だった。

面談がはじまり、あらかじめ上長に言われていた通り自分の現状と気をつけることなどを一通り話している途中、産業医からの「あの、僕は(整形の)専門医じゃないけどね、まだ復帰は難しいですよ」とのコメント。

(ん?聞いてた話と違うぞ?)

と思いながらも「あ、あの、今お伝えしている通り、専門医からも仕事復帰が無理だと言われていなくて、できるけど気をつけることがあるよ〜というのを話してて。今日はそういう認識を共有するためにお話しする機会なんですよね?」と伝えたものの、「いや、仕事無理だと思うので〜」の一点ばり。

話に埒が開かない。

そもそも専門医でないと自分で言うのに、どうしてこんなに無理とばかり言うのだ?とイライラし始めたところ「まあ、あなたが何が起こっても自分のせいです、っていう念書を書けばいいんですけどね」とのこと。

「…要するに念書をかけ、と言うのを長い時間かけて言いたかっただけじゃん。」とそこで理解する。

だったら初めからそう言ってもらった方が「あ〜はい。自分が戻りたいと言う気持ちがあるからしょうがないですよね。内容確認したいけどそういうの(念書)が必要なら書きますよ」と言う気持ちだった。

ただ、産業医が忙しいからとオンラインでの面談が2週間後になり、こちらに準備させるだけさせておいて話を最後まで聞かずに、できないよって否定だけかよ、と思ってしまった。だいたい、オンラインで30分ばかしの面談で、元々こちらの症状を聞くつもりなんて、鼻からなかったんじゃないかと感じた。

予定時間の残り5分くらいに「あ〜時間なくなってきたので、上長と話しますからあなたは退出してください」と言われて、イラつきながらも退出。

しばらくしたら上長からメールが届き「自分も聞いてた内容と違った。ごめん。他の会社で戻って体調が悪くなって、家族から訴えられた人がいたケースがあったらしく、念書が必要らしい」との内容。

産業医って、患者に寄り添う会社所属の医者なのかな、と思っていたけれど、会社に寄り添う医者なんだな、とガックリきた。

そこから「書類の準備などで時間が欲しい」と言われたものの、当初上長とこの日から働き始めたいね、と言っていた日数が迫っていたし、数日連絡も来ていなかったので「あ〜〜働けないのかもな〜〜」なんて思っていたら、2日前に「明後日からフルタイムで働いてください」との急な連絡。

(あれ?上長、元々は最初は時短でとか言ってなかったっけ?急展開すぎん??)

と思いつつも、ここを逃したらもう社会復帰するのなんて難しいんじゃないかと思い「あ…はい…!」と返事をしていたのだった。

このあと復帰した自分が所属する職場とのやり取りでも、胃が痛くなるくらいストレスを感じることがあったのだけど、長くなってきたのでそれはまた機会があれば。
…正直に言えば、こんなこともう書かなくてもいいや〜と思えるくらい、ハッピーなことを毎日感じられるようになるのが一番いいなと思っている。

これから社会復帰をするという方がもし居たら、伝えたいこと

私の場合の産業医とのやりとりはこんな感じでした。

で、社会復帰して2週間。とにかく体が痛い!
そして痛みと共に心も弱っていく、という感覚がある。

私の場合は胸椎を何箇所か骨折していて、つい最近まで胸から骨盤くらいまである、長いコルセットをつけて生活していた。

リハビリ入院中に習ったことをとっても真面目にやり、ちょっと自信を持って退院したのだが、日常生活や仕事に必要な身体の動きとは、リハビリで鍛えた筋肉がまた違ったようだった。
だから、退院して日常生活に戻った時の動きにも、仕事でする作業の動きにも、いちいちひどい筋肉痛のような痛みや、身体の強張りがあって、横にならないと耐えられない時間というのが発生したのだった。

この痛みは正直想定外で、私はリハビリで習ったことをとにかく真面目にやっていれば、だんだんと普通の生活に戻れるのだと思っていた。
でもだんだんと、新しいこと(本当は久々にやることなんだけど)をやるたびに痛みが発生して、それと向き合う時間が必要なこと。体力がない自分というのを受け入れないと、ちょっとした距離の移動で疲れる自分に対して絶望してしまうことをだんだんと悟ってきたのである。

そして、自分が感じる痛みは、自分にしか分からない。

以前できていたはずのことが、できなくなっていること。全てに痛みが生じること。自信がなくなっていく感覚。こういうものは、自分にしかわかることができないのだ。

だからこそ言いたい。社会に戻れなくなる不安というか、取り残されるような感覚に怯える方もいると思うけど、急いで仕事に戻る必要はないかもしれない。
私は正直早すぎたと思う。事故後、3ヶ月で職場復帰したから。

3ヶ月で復帰できるだけの頑張りをしてきた、という自負はある。けれど、自分の中で「大丈夫!いける!」と思った倍の時間をかけて、「自分の中に動けるという安心感が出てきたな」というタイミングでも、良かったのではないかとも思う。

そしてもし、産業医との面談を控えている方がいたら「こんなことを言われる可能性があるよ」という私の話も頭の隅っこに入れておいてほしい。

元気な時に、産業医と関わる機会がなかったから、どんなことをする職業なのかもわかっていなくて、上長(上長も産業医と関わる機会がなかった)の言うことを素直に受け止めていたけれど、心の予防線を張っていたら、あんなにイラついたり、理解されない悲しさなど味合わなくても良かったのかな、とも思ったから。
(そして素敵な言葉かけをする産業医と出会えますように、とも願っておきます)

オンラインカウンセリングを受けてみた

とにかく思うように身体が動かない苛立ちと、痛みのせいで思ったように仕事が進まないストレスで涙が出てきたり、激しい胃痛が起きたり、情緒不安定で人との接触を避けるようになっている自分に気づき、昨日はしがみつくようにオンラインカウンセリングを受けてみた。

50分間、自分の感じているストレスなどを、画面の向こうの臨床心理士に話していたのだが、その中で「周りが変わっていないけど、あなたが変わったんですよ」という一言が、妙に胸に響いた。

家族や友達に話しても「なんかうまいこと伝わっていないな。私の気持ちをわかってよ!」など感じて悲しくなっていたのだが、それは当たり前で、私が2ヶ月の入院生活で新たな経験をたくさんして、特に大きく変わらない社会の中に私が戻ってきただけなのだ。変わっていたのは紙幣くらいだ。

それを聞いて、自分の現状が理解できたような気がして、安心したんだよね。
「自分がバージョンアップしたんだと思ってください。いつか、自分がした経験が役に立つ日もきっときますから」という言葉に、モヤモヤとしたぶつける場所も機会もないどす黒く渦巻くものが、すっと晴れた気がした。話してみて良かったな、と心から思ったのだった。

それでも今日も悩んでいるんだけどね

まあ、それでも今日も腰や背中は痛いし、お金の心配もあるし(傷病手当金ってとってもありがたいけど、振り込まれるのに時間かかるよね…!)、仕事も思うように進まないし、ついつい出来てないことに目がやられて、ネトフリ観る元気もないままボーッとしてしまったりもしているんだけど。

それでも、昨日の言葉がなんだかお守りのように思えて、久しぶりに安心感を感じているのはたしかだ。

いくらバージョンアップしたって、社会と馴染めないんじゃバグを起こしてばっかりな気もするんだけどさ、だけど、現状がわかっていたら、解決だってできるんじゃないかと思う自分もいるんだよ。

もし自分のしている悲しみや辛さが、どこかで誰かの心の痛みを取る手助けになるのなら、なんかそれを信じてみたいんだよね。
誰かに助けられてばかりで、自分はなんの役にも立っていないんじゃないかって落ち込むことがあるんだけど、今は耐えて、もし誰かを助けられる日が来るのなら…。それならば、この苦しさから逃げずに少しずつでも乗り越えていきたい。

なんだか整理されていない文章になっちゃったけど、これも今の自分のリアルだと思って投稿します。もし同じような境遇の人がいたら、一緒に頑張ろうね。

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