学校を変えよう。業務の簡素化のこと。
教員の志望者が減少していることを受けて、文科省による企画として、教員の魅力を発信してもらおうと、SNS,Xでは教員アカウントによる「#教員のバトン」なるハッシュタグのついたポストが散見されました。
しかし、その内容は魅力どころか、現場の教員の辛苦を訴えたものばかり。実際、ある時は教員の過労死が出る状況を踏まえ、ある教員が会見を開き、学校行事の削減を訴えていたものです。
明治初年に義務教育制が始まり、以来150年。江戸時代の藩校や寺子屋、民間の学塾の発展形として始まったであろう日本の学校は制度上の様々な変遷を経て、今日(こんにち)に至るまで多くの業務を増やしていきました。
明治初期の学校の在り様はもっと簡素なものだったはずですが、時代が進むにつれて、より複雑なものになっていったのでしょう。
実際、校長や一部のベテラン教員の発案なのでしょうけど、「生活の記録の提出」「遅刻をしたら反省文を書かせる」「運動会でのパンフレットの作成」「パンフレットの表紙を美術部員に描かせる」「運動会では組体操をやる」などと、業務がどんどん増えていく傾向があったでしょう。
その結果がどうなったか。
不登校が小学で13万人、中学で21万人、高校で6万人、イジメの認知件数が73万件、暴行の認知件数が10万件、自殺が400人(数字は概算)。そして、教員の志望者の定員割れが起きています。
「学校教育の崩壊」。そうした言葉を私は想起します。背景にあるのは管理職や教育委員会の職員の姿勢でしょう。「忙しいことを有難いことだと思いなさい」教育委員会から若手教員へ向けた冊子にあった文言です。
早朝、校庭の整備をしている教員を肯定的に評価し、定時に帰ろうとする教員には暗に残業を求める。果たして、教員の休職、退職は増えるし、志望者は減るでしょう。
必要のない業務を次から次へと増やしていく、結果、現場は疲弊する。校長や教育委員会からの虐待でしょう。
本来なら、PTAが動かないといけないのだけど、実際には形骸化しており、さらには保護者どうしの不倫の機会を与えているだけとの声もあるようです。
不登校になった生徒はどうなるのか。多くはフリースクール、適応指導教室を経て、通信制高校や大検を経て、専門や大学から社会参加しているようです。
そう、フリースクールや大学なら行けるんです。あるいは不登校特例校のようなフリースクールの運用を参考にした学校であれば、生徒は通えるんです。
大学の運営の在り方はどうでしょう。各種の行事や集会が高校までと比べて、各段に少ないですね。給食や掃除当番のような、誰かと組んで作業する場面がほとんどない。
また、朝自習や朝のホームルームのような一連のルーティンもない。校則や容疑検査もないし、制服もない、上履きや各種の用具もないですよね。とかく、シンプル。
大学の場合、授業は一コマ90分で、週5コマか6コマです。今日は2限だけ。今日は1限と3限だけとか。
1限が10時20分に終わって、3限が12時50分に始まるまで、2時間余り、学校の内外のどこで過ごしていてもいいわけですよね。学校の近くのファミレスなどで過ごしていても、誰から咎められるわけでもない。
あるいは授業が2限だけであれば、授業の直前に学校に来て、授業が終われば、すぐに帰ってもいいわけです。とかく、余裕がある。余計なタスクがない。こうした組織の運用であれば、教員も生徒も各段にストレスが少ないでしょう。
校長など教員が不登校の保護者に言うセリフでありがちなのが、「家庭が居心地がいいから、お子さん学校に来なくなるんです」というもの。間接的に学校が生徒にとって、苦痛であることを認めていますでしょ。
また、不登校の生徒が修学旅行の時だけ、やってくる、そのことを快く思わない教員もいるようです。つまり、普段の嫌なことは割けて、楽しい時だけやってくるのがズルい、と映るんでしょう。
滋賀県の東近江市長のセリフとして、「善良な市民は子供に我慢を強いて、学校に通わせているんだ。そこへ、フリースクールが増えれば、子供らはそちらへ雪崩うつ。そなれば、国家が崩壊する」と言って、物議をかもしたものです。
件の市長は警察官僚出身で教員経験者ではありませんが、一般の方でもこうした感覚を持つ方は多いのでしょう。
学校は、教員は、生徒に苦痛を与えようとします。早朝の耐寒訓練、カバンに教材を詰め込ませ、給食の完食を強要する。また、管理職や教育委員会も教員に苦痛を強いようとします。忙しいことを有難いことだと思いなさい、いや、有難くないです。
生徒の不登校、教員の過労自殺。生徒も教員も不幸にする学校組織。これを変えることができるのは政治の力でしょう。一部の心ある教育者の実践、制服、チャイム、宿題、定期テスト、校則を無くしたような、そうした取り組みを全国に広めないといけない。
イジメ、体罰、虐待とあって、最も難しいのは虐待です。虐待はDVと親和性が高いのです。妻子が逃げても、男は妻や子に会いに行って、殺してしまうことがあるので。
子供を取り巻く一連の課題のなかで、最も取り組みやすく、かつ即効果があがるのが、学校の改革です。学校を変えられるのは校長です。それから教育長ですよね。
大多数の方々は横並び意識が強く、変化に対しては抵抗感がつよいのではないでしょうか。そこへ働きかけていくのは政治の役割だし、その政治を変えていくのは市民の役割だと心得ています。