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心のデトックス|「自分をもてなす」ために生きはじめたことで、見えてきたもの【お片付け】

私は片付けが苦手です。そしてお掃除はもっと苦手。

でも、今は家事の一環として片付けや掃除をしているのではありません。私は家がかわいいと嬉しいから、片付けをするのです。

お片付けをしたり、不要なものを処分したりすると、なぜだか心がスッキリする。

それは今さら片付けが苦手な私が言わなくとも、多くの人が感じていることだと思います。心のもやもやが晴れたり、実生活が明るくなったりと、さまざまないいことがあるといわれていますよね。


私が最初に片付け始めたきっかけは、実は「終活」でした。

私は小さい頃から、ナチュラルに希死念慮がありました。なぜだか、小さい頃から自分に自信がなかった。自分が気持ち悪い存在な気がして、人を不快にさせないよう、汗なんかかかないのに制汗剤をかけまくったり、化粧を厚く塗ったり、太らないように気をつけたり。

記憶を思い起こすと、あなたはあなたのままでいいと言ってくれる人がまわりにいなかったのかな。頑張ったことを、ただ「頑張ったね」と言ってくれる人が、私には必要だったのかな。


ものを処分し始めたのは「いざというとき、残された人が面倒なことにならないよう、身軽にしておこう……」それが最初のきっかけでした。

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ものを減らしていくとき、どうしてそれを手放すのかについて自分に再確認する作業が発生します。「もらいものだから捨てられなかったけど、色が好きじゃない」「ブランド品だけど、趣味に合わない」「これをくれた人、私にいじわるをしていたよね」

私は「どうせ私が我慢すればいいんでしょう」というクセがあります。

本当は嫌なのに、我慢すれば場がまるくおさまるんだろうと考えがち。そうやって我慢してきてしまったことで、今も後悔している部分は少なからずあります。


余計なものを手放していくと……自分が心地よいと思うもので、家が満たされ始めました。

お皿一つとって、かわいいなと思う。それに合うカトラリーをセットして、ちょっといい気持ちになる。鍋からそのまま、面倒だからキッチンで済ませちゃえ……としていたランチが、ちょっとステキな時間になる。

ものを厳選し始めたら、自分を大切に扱えるようになってきたのです。


ものにはすべてストーリーがありますよね。どこで買った・誰がくれた・どんな思いで買った……それが全て私を肯定するもので満たされたのです。すると、ものを大切にできるだけではなく、『自分をもてなす心の余裕』まで出てきました。

私、自分を雑に扱うのをズボラなせいだと思っていましたが、そうではなかったのかもしれません。

今は、好きだと思うものを少しずつ増やしています。どうやら私はミニマリストタイプではなかったらしく、ものや色味が少なすぎると落ち着かないのですよね。

朝早く起きて、朝日に照らされたお部屋を見て「あぁ、うちかわいいなぁ」と思うのが私にとっての癒しの時間。頑張ったことを自分で認めてあげられる瞬間です。(誰が見てもではなく、私がそう思うからいいのです)


昼間は子どももいるので、もうしっちゃかめっちゃかのグチャグチャですが、『チャッと片付けられるシステム』があればイライラせずにすみます。

(普段はほんとにこんな感じ↓↓)

ものを新しく買うときも、「自分をもてなす」ために吟味。これがとても楽しい。もちろん、私だけが住む家じゃないですから、家族とも話してみんなが心地よくなれるところを目指します。

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今まで我慢しながら生きることが当たり前だったのに、『自分を大切にすること』が基本ベースになってきた今。鏡に映った自分を見て、「気持ち悪い」と思うこともなくなりました。若い頃は、寝るときも化粧してないと落ち着かないような不安定さだったのに。

先日、すっぴんの自分を見て「うわぁ、芋ジャガイモだ、顔変わってないな~!でもなんか前より楽しそうでいい顔」と自然に感じたとき、いろいろな”憑き物”が落ちたような、そんな感覚を覚えました。私、やっと自分が好きになれてきたようです。

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倉田エリ|出版コンシェルジュ
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