コーヒーという物語をどう翻訳するか?
いろいろなものが混ざった多言語環境の中で
Kurasuには、グローバルなバックグラウンドを持ち、頭の中で多言語が飛び交う人々がたくさんいます。中の人もその一人です。マルチリンガル同士でよくある質問に、「夢は何語で見るんですか?」や「家族とは何語で話すんですか?」といったものがあります。でも、言語能力が高まってくると、言語と言語の間の境界は曖昧になり、言葉がまるで空気のように自由に漂う感覚になるような気がします。言葉は実体を持たないのです。
Kurasuにも、業務の中で簡単な通訳や翻訳をしているメンバーがたくさんいます。職場で日本語以外の言葉が飛び交うのは日常の光景です。カフェではいろいろな言語が聞こえてきたり、オフィスでは誰かが英語でクライアントとミーティングをしていたり。その上、海外店舗とのミーティング内容を、日本の社内で共有することもあれば、新しく輸入する器具について、開発者の想いを汲みながら日本のお客様に紹介することもあります。つまり、みんなが「翻訳らしい仕事」をしているのです。
ただし、ここで一つ疑問が浮かびます。「語学ができれば翻訳もできる」と言い切れるのでしょうか?先日、ラテン語の文献をChat GPTに読ませたところ、なんの問題もなく日本語に訳してくれました。しかし、私にはその日本語が正確に理解できませんでした。日本語を声に出して読んでも、イメージが浮かばないのです。通訳や翻訳の仕事は、すでにAIに取って代わられるだろうと言われています。しかし、当事者としては、そんなに単純な話ではないと思うのです。
翻訳が織り成すものとは?
翻訳とは、ただ言葉を置き換える作業ではありません。むしろ、翻訳は異なる文化や感情、時には背景にある空気感さえも一緒に運び、その文章が持つ全ての意味を新たに再現する作業です。言葉が持つ意味だけでなく、その言葉に込められた場の感情やニュアンスまでも捉えることが求められます。だからこそ、翻訳はクリエイティブな作業でもあるのです。
例えば、よく翻訳された本を読むと、原作者の声が直接自分に語りかけてくるかのような感覚があります。小説家・村上春樹が訳した英語の「I」は、状況に応じて「私」「俺」「僕」と使い分けられています。この主語の訳し方だけでも、「私」と「俺」の「I」が与えられたTPOが異なることを読者は感じ取ることができます。日本語って難しいですよね。でも、だからこそ美しいし、世界を高い解像度で捉えていると考えています。
村上さんは、その“実況中継”がとても上手。実際にその場に身を置いて描写している感じです。音が聞こえ、匂いまで漂ってくる、そんな訳文が多いですね。
コーヒーを翻訳するとは?
さて、この翻訳の話が、なぜコーヒー会社であるKurasuと関係があるのでしょうか?それは、コーヒーの世界にも、似たような「翻訳」のプロセスが存在することに気付いたからです。
まず、狭義の翻訳にあたる具体例を挙げるなら、世界中からKurasuのコーヒーを求めて訪れてくれるコーヒーラバーたちに、どのようにコーヒーの魅力を紹介するかという問題があります。ケニアのコーヒーひとつをとっても「A well-balanced acidity and sweetness」と紹介するのと、AIが直訳したかのように「Strong acidity」と説明するのでは、センスの差が問われます。
コーヒー豆のフレーバーノートも同様です。味覚の記述は文化や経験に根ざしています。例えば、コーヒーの甘さを京都で「こしあん」と表現すれば、「こしあんとは何か」を調べるお客様がいるでしょうし、バリスタやカスタマーサポートチームが「こしあんとは何ですか?」と質問されるかもしれません。その際、どのようにニュアンスを伝えるか、それもまた一種の「翻訳」作業です。
何度かこのような問い合わせを受けた経験から、より広い意味で「翻訳」の意味を捉えることもできると強く感じました。一杯のコーヒーを通して、人と人がつながると同時に、その一杯のコーヒーの味わいには、コーヒーのサプライチェーンに携わる人々の想いが含まれています。コーヒーがもたらすコミュニケーションの効果を論理的に説明するのは難しいですが、コーヒーがメディウム(Medium)になり得るという感覚は、言語化できるのではないでしょうか。コーヒーは、多くの人の「意味」を含んだ媒介物。そう考えると、コーヒー業界における広い意味での翻訳の役割も見えてきました。
「翻訳」がつなぐコーヒーの物語
翻訳を広義に捉えてみましょう。コーヒーの背後には、いつも物語が潜んでいます。一つ一つの具体例を挙げるとキリがありませんが、例えば、喫茶店の時代には、文学やジャズなどの音楽がコーヒーの嗜好性を高めました。そしてサードウェーブの時代に至っては、抽出や焙煎の技術的発展がもたらす舌への喜びに加え、サプライチェーンに携わる人々の想いが、なお一層コーヒーの美味しさを引き立てているように感じます。
年末年始には、いろいろなロースターさんが、想い入れのあるちょっと贅沢なコーヒーを紹介することがあります。それは、一年を終えて、自分たちでもちょっと贅沢なコーヒーを飲みたいという気持ちの表れだと思います。米の収穫を終えて、ほっとして美味しいおにぎりを食べるような感覚かもしれません。
このようにコーヒー業界では人とつながり、その物語を紡ぎながら、お客様のもとに美味しい一杯を届けているのです。そして、お客様に、その背景にある物語や情感を伝えるためには、「翻訳」の役割が必要です。
生産地の名前を知らないカタカナの地名に、どうやってリアリティを持たせるか。季節の変化に合わせてロースターが提案する味わいを、どんなメッセージとして届けるか。そういったいくつもの「翻訳」を通して、人と大地の息吹を感じるようなコーヒーが届けられるのです。
私たちは日々、多くの翻訳された言葉や物語に触れています。そして、それが上手に翻訳されていれば、その言葉の背景にある文化や感情も自然と受け取ることができます。翻訳を通して、私たちは異なる価値観や世界に負担なく触れ、当事者として深くつながり合えるのです。
コーヒーには物語があります。だからこそ、コーヒーにも翻訳者が必要です。それは、コーヒーのサプライチェーンに携わる誰しもが目指せる役割だと思います。