ふつうになってしまう
すっごくおいしいものができるとうれしいけど、なかなかうまく作れないです。
有賀薫さんの『こうして私は料理が得意になってしまった』を読みました。
『おいしさ、というものは料理を作るうえで絶対的な価値に思えます。おいしいものがあれば幸せ、おいしいものは正義。プロたちはそのおいしさを価値基準として日々研鑽を重ねていますし、家ごはんを作る人たちも、少しでもおいしいものを食べさせようと努力しているのではないでしょうか。それだけに、心が弱っているときにキラキラしたおいしさは、まぶし過ぎることがあります。手を抜いた感じの料理に心が寄っていくのは、川下に流れるみたいなことなのかな。
おいしくなくていいのです。「ふつう」なものを食べていると、明日もまたがんばろうとか、今日の一日を反省しようみたいな前向きな気持ちにはならず、だからこそ、楽な気持ちでいられるのです。おいしいでしょ、という顔をした料理に対しては、それが自分で作った料理にであっても「おいしいね!」みたいな明るい反応をしなきゃならない気がしてしまいます』
おいしいのは大切だけれど、すっごくおいしいものを作れる日というのもあまりないです。
だいたいふつうの味になってしまいます。
ふつうの味でいいんだって、有賀さんの文章を読んで思えました。