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コントロード

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この物語は、僕がお笑いコンビ「ツィンテル」として活動していた頃にブログ連載していた、コンビ結成から解散までを事実7割・創作3割の割合で描いた物語を改訂したものです。この割合は僕の…
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2020年4月の記事一覧

コントロード 第二十四話「最低で最高の夜~マシンガンズ西堀さんの話~」

家のことで色々とあったが、僕はなんとか芸人を続けることにした。 段々と芸人が板についてき…

倉沢学
4年前
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コントロード 第二十三話「面白いお葬式」

2009年の11月下旬のこと。 その日は何度目かの「爆笑レッドカーペット」の収録日だった。 そ…

倉沢学
4年前
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コントロード 第二十二話「運と難〜ウンナンさんの思い出〜」

ウンナンさんの番組前説を経験した僕らツィンテルだが、収録時にお二人と世間話なんかができる…

倉沢学
4年前
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コントロード 第二十一話「著作権フリーの前説マニュアル」

僕らに新たな仕事が入ってきた。 「前説」である。 話にはよく聞いていた、テレビ番組の収録…

倉沢学
4年前
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コントロード 第二十話「人生に不必要なことはすべて宮澤に教わった」

ビッグウェーブを逃してしまった僕らだったが、この時それに気づいているのはお笑いの神様だけ…

倉沢学
4年前
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コントロード 第十九話「Catch the Wave」(後篇)

「一個増やしていい?」 「爆笑レッドカーペット」の収録中、僕らの出番の直前も直前、舞台セ…

倉沢学
4年前
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コントロード 第十八話「Catch the Wave」(前篇)

「爆笑レッドシアター」内の若手コーナー「ホワイトシアター」の収録は、観覧客が入っている収録で、その観覧のお客さんがとんでもなく笑うお客さんで僕らはかなり戸惑った。 おそらくADさんからいつもより沢山笑うように指示が出ていたのだろうが、それにしたって笑いすぎだ。 あまりにも笑ってくれるものだから次のセリフを言えなくて変な間が生まれたのをよく覚えている。 事務所の大先輩ウンナンの内村さんが僕らのネタを見てくれた。あとでオンエアを観たら僕の言ったボケを繰り返して言ってくれてい

コントロード 第十七話「ダジャレ職人」

イタリアのダジャレばかり言うネタはとてもウケた。 今まで自分たちが作ったネタとは明らかに…

倉沢学
4年前
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コントロード 第十六話「僕たちのシアタートリム」

初めてのオンバト挑戦が終わってからも僕らは粛々とネタ作りに勤しんだ。 当時マセキの若手で…

倉沢学
4年前
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コントロード 第十五話「テレビの中の私たち」

毎月のネタ作りやライブの手伝いなど、慣れない仕事に四苦八苦しながら、少しずつ僕らは芸人の…

倉沢学
4年前
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コントロード 第十四話「夢で逢えた日」

コンビになった僕たちツィンテルがお世話になることになったマセキ芸能社。 古くは浅草なんか…

倉沢学
4年前
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コントロード 第十三話「二つの約束」

幸運にも2つのプロダクションからお声がかかり、僕たちは決断を迫られていた。 どうする。 …

倉沢学
4年前
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コントロード 第十二話「30からのお笑い芸人」

マセキ芸能社のライブにセティと二人で出てからは、ラ・ママ新人コント大会とマセキ芸能社のオ…

倉沢学
4年前
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コントロード 第十一話「コンビはじめました」

数あるお笑いプロダクションの中からマセキ芸能社を選んで初めての事務所ライブのネタ見せに向かった僕、セティ、デビの三人。 下町にある、普段は落語会などで使われている古びた公民館のような建物がその会場だ。 緊張の中、早く着いた僕らは、どこかで練習をしようと裏手にある公園に向かった。 するとその公園のそこかしこに2人組がいる。 同じくオーディションを受けに来た若手芸人たちが練習をしに来ていたのだ。 お笑いの劇場近くの公園ではどこでも必ずこんな光景を見ることができて、今でも