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読書紹介 第一冊 『人間臨終図巻』

『山田風太郎』 著:人間臨終図巻

 人間臨終図巻なんて、おどろおどろしいタイトルであるが開いてビックリタイトルに偽りなし。古今東西、あらゆる有名人の死に様がどのようなものであったか記されている。
 織田信長、ゲーテ、クレオパトラ、夏目漱石、ジョンレノン、ベーブルース、司馬遷、山本五十六、フォン・ブラウン、バーナード・ショウ、エラリー・クイーンその1、その2……これはほんの数例に過ぎない。政治家、軍人、音楽家、文豪、画家、哲学者、武将、実業家、幕末の志士、俳優、落語家、映画監督…..
上中下巻3冊合わせて1000人近い人間の臨終の様子が描かれている。ここまで来ると、発想は平坦であるが凄味を感じさせる。
特に印象に残っている人物を記す。

・山崎晃嗣(1923-1949):戦争直後に高利貸しで巨万の富を築きかけたが破産し服毒自殺を遂げた。その遺書に残されていた言葉は下記のごとく。
「契約は死人という物体に適用されぬ…(中略)
 貸借法すべて清算カリ自殺
(上巻52P)

自殺するときにここまで舐めた遺書はかけない気がする

・板垣退助(1837-1919):明治15年に暗殺未遂の際に死んでいたなら
「板垣死すとも自由は死せず」の言葉と共に伝説になれたが、九死に一生を得てからの37年間は余りにも長かった。雨漏りのする借家の家賃も滞り、趣味であった刀剣を知人に売ろうとした。
その1か月後、肺炎で死んだ。 (下巻288P)


死ぬべき時に死ねないことは、死ぬことよりもある意味残酷かもしれない。



 そもそもこの本に出会ったきっかけというのは、私が山田風太郎の甲賀忍法帖を読んで、そのあまりの面白さに感銘を受けたことから始まる。


画像はアニメ作品のもの。

緊迫感のある忍者同士の対決、あっと思わせる策謀の連続、戦いの果てにたどり着く美しい結末、何度も声に出したくなる忍者達の名前….。この本についてもいつか紹介したい。
 とにもかくにもその本で山田風太郎と出会ってから、著作を片っ端から読み進めていたのだが、これはその内の1つである。

 『死』というのは、人間が逃げ切れないものの1つであるため、多くの人々が今まで『死』について考えてきた。
 だが、この本はそんなありきたりのものではない。この本で著者自身が『死』について語る場面はほとんどない。本当に図鑑のように、誰がどうやって死んだか並べられている。1Pめくれば人が死に、もう1Pめくれば別の人間が死ぬ、、、『死』の濃密な連続体験ともいうべき奇妙な経験を味わった。

 私はいまだかつてここまで『死』について無感情に記された創作物を見たことがない。『死』というのは創作においては、いつでも脚色され華美され物語を伴って、私たちに届けられる。あるいは創作ではなく哲学、評論であっても『死』について膨大に熱量を従えて書かれることが多いだろう。
 だがこの本は違う。『死』を並べるのみである。
 ここから何を考え、何を思うかは、すべて自由。そんなことを言われている気がした。
 
 この本を読んでの正直な感想は、人が死ぬということは何も珍しいことではない、というものである。
 日本でも世界でも、今この時誰かが死んでいるであろう。何も特別ではない。死は特別ではない。そう考えることで死を受け入れる….のだろうか?
メメントモリ、くわばらくわばら。


最後に各章の前に引用される『死』についての名言を、いくつか引用して終わる。

『死は推理小説のラストのように、本人とって最も意外な形でやってくる』
                          -山田風太郎
『人は生まれて苦しんで死ぬ、人生の要点はそれで尽きている』
                          -正宗白鳥
『同じ夜に何千人死のうと、人はただひとりで死んでいく』
                          -山田風太郎


以上である、ここまで読んでくれてまことに感謝。 

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