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床面積を10㎡縮小すると今が見えてくる

基本賃貸物件ヤドカリ族の我が家です。暮らす場所の条件により床面積も変わってきます。今の面積を基本とすると、プラスマイナス約10㎡の間で行ったり来たり。毎日の暮らしの自由度から言えば、圧倒的に床面積は広い方がいい。暮らしにゆとり感が一気に広がります。専有面積がいっぱいって素晴しい!と数年過ごした後の引っ越した現在の我が家というか私の日々。

片付けるスペースがないと考える

引越しが完了してそろそろすべての荷物は段ボールから出されすっきりと片付いている頃合いですが、我が家はまだ10個以上荷物が詰められたままです。理由は「片付けるスペースがない」から。

現在の住まいは、以前の物件より床面積は10㎡少なくウォークインクローゼットもひとつだけ。圧倒的に収納スペースが足りない状況です。しかも10箱以上ある息子の学生時代の荷物を預かってもらってこの状態。それも合わせるとほぼ1部屋、がっつり段ボールで埋まってしまいます。

さて、この残りのダンボールに入っている荷物とどう向き合っていくかが課題なのですが、同時この思考回路の変遷を記録も兼ねて書いているという訳なのです。

今残っている、やはりそこそこ残っているこの物のなかには本当に必要な物はどれくらいあるのか。今からそれをしていくのかと思うと、どのくらい時間がかかるのか予想がつかなくて気が遠くなりそうです。

面積が少ない=収納場所がほぼない=今ある物は本当に必要か

収納場所がないけれど収納するということは、本当に必要なものを厳選する作業でもあります。この厳選するという作業は自分の価値観を見すことに他なりません。時間がたつと価値観は変わります。あのときは絶対これがほしいと思って大事に保管していたけれど今はいらないかもしれない。今回もダンボールに詰める作業の時に「今いる、いらない」の選別を行いました。

その過程で、それまで大事にしまい込んでいた本を息子の漫画やらも一緒に359冊手放しました。理由は、本だけで段ボールが10箱以上となること。今はもう全く読んではいないこと。それならば、もうその本は今は必要ではない。オンラインで手続きをして、あっさりと手放しました。今はすべてネットで手続きも完了するので時短が可能です。ダンボールは古本用に丈夫で小さめサイズをあらかじめ用意していたのでそれに詰め込んで完了。それでも10箱近くにはなったでしょうか。

面白いもので、どんなに強い思い入れがあった本でも手元から離れると忘れてしまいました。あれほど書店を何軒もはしごし、ときには古本屋も巡り探しに探して手に入れた本も今回手放しました。私は、本さえあればと冊数を増やしてきました。本も10年以上時間をかけて読みたいので集めたものです。あるだけで満たされた気持ちになったものです。

手放したものを懐かしんだかというと

しかし、手放した今。思い出しもしないのです。数ヶ月たった今でも同じ。記憶の片隅にはあるのですが再度読もうという気持ちになりません。手放したと言うことはすでに自分の中では終わっていたということかもしれない。

それよりも少なくなってすっきりした。そんな気持ちの方が強かったのです。なんでしょう、この晴れ晴れとした気持ちは。もしかして本も、もうそんなに数は必要でないのかもしれません。現在も手放した当時の冊数からあまり増えてはいません。

でも、それでもういいのだと思うのです。それよりも紙の本だと置くスペースに限りが出るし、本は場所をとるので本についても「どの種類の本を購入するのか」と考えるようになりました。本はあまり手間をかけないで片付けられますが、その手間をかけなくていい方法を選択するようになったのです。これが今回の片付けを通して自分が変化したことかもしれません。

これからさらに減らしていくのか

この先、さらに今ある物を吟味して減らしていく予定です。というのも実は現在までに100㎏以上に及んだ家の中にある様々な物をあらゆる手段を調べて処理し、または自治体の定期のゴミの日に合わせて処分してきました。

それでも「処分が難しい」物が残るのです。処分が難しい物。それは人の気持ちが残る物。それから、物の素材が複雑で普通の処分は難しい物。素材よりも「気持ち」が残る物の方がより難しいかもしれない。むしろ「終活」を目標にした片付けともいえます。だからこそ「残す物はあるのか」というところに今のところは行き着いているのですが、別の結論を求めた方がいいのかもしれないですが。そこは今は正直分からないのです。

ただ現実としてあるのは「収納場所が少ない」ので、いまある物はやはりそのまま置いておくのは無理だしスペースがもったいない。収納場所が減ると、より必要な物は何かと考え、今あるスペースを有効活用できるよう考えるので結果より片付いた空間が確保できます。

以前は物がぎっちりと隙間なく仕舞い込まれていましたが、今は大体隙間があります。隙間はなにか心に豊かさをもたらしてくれるのか?物が減っている分、探す時間は必要ないのでストレスがたまりません。

もしかして自分は、物は最低限に減らしただだっ広い空間が落ち着くのかもと思うようになってきました。物は少なくても暮らせる。でも、必要なのもは絶対いる。その加減を今見つけている最中です。

話は変わるのですが、私の母は亡くなった祖母の箪笥をどうしても片付けることができないそうです。母も高齢になりました。高齢になり少しづつ体の衰えも出てきています。自分の母親の箪笥は、やはり祖母が片付けたそのままの形で置いておきたいのでしょう。祖母の箪笥は母の物なので、母が置いておきたかったらそのままで。

これからも片付けは続きます。

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