人生に無駄はないってのは本当なのか
ついこの間まで赤ん坊だった息子。母の姿がなければ大泣きし、幼稚園に入園した直後はお迎えに行くまでの3時間泣き続けた。そんな息子もついに一人暮らしを始めた。
気づけば一人暮らしにはよい年齢だった
息子が、やっと下宿生活に入ったことを知り合いに伝えた。そうしたら、こんな反応が返ってきた。
あら、よかったわね。下宿してるの。あなたね、いつまでも手許に置いていたら十年後大変なことになっていたから。よかったわね、いいタイミングで独立させたのね。
去り際「これからが正念場よ」と意味深な言葉を残していった。
よかったわね、と言われ、さらには正念場と言われてしまった。
しみじみと、大事にならなくてよかったという口調だったので「独立させなかったらどうなっていたのか」とは聞く勇気は今もない。
もっと早く親許から出したかった。高校を卒業し、進学した先は微妙に遠いが通えない距離でもなかった。いろいろ計算すると、定期の方が当たり前だが安くついた。張り巡らされた鉄道網で自宅からの通学も時間はかかるが、なんとか可能な範囲だった。
だが、わたしとしては高校卒業後は親許から出てほしい、と信念にも近い気持ちがあった。というのは中学高校時代は、アメリカのハイスクールドラマが大好きで。ドラマの主人公たちは高校を卒業すると、もれなく一人暮らしをすることになっていたから。
今回ひょんなことでなんとか押し出すことに成功し晴れて息子は一人暮らし。やっと念願を果たした。下宿に移った後の息子からは連絡は全くと言っていいほど、ない。
こちらからも、あえて連絡もしない。
これが限界だった
うちは一人っ子だ。
双方の地元から離れた土地で子育てをはじめることになった。無理だ、と思ったがやるしかない。
わたしは姉の子どもたちを高校生の時から10年以上まとめて面倒を見ていた。子どもが複数になる大変さは身に染みていた。
新生児から小学生になってからも3人まとめて一手に引き受けていたので、20代前半にはもはや子守は何でもござれとなっていた。
新生児のおむつ替も着替えも、予習にはたっぷりと時間をかけていたので難なく行える。
戸惑うこともなくやっていた。要するに慣れだ。新生児から幼児期に必要なスキルは身についていた、多分。
息子の赤ちゃん時代に困ったのは夜泣きの時期。
親も子も眠れず、朝はゾンビになる日々が続く。
仕事が幼稚園の先生だったので、兄弟姉妹を連れて行事に親が単体で参加する大変さもよく分かっていた。勤めていた園では、園長先生が兄弟姉妹のお世話を一手に引き受けていたこともある。そうでないと、母親は話し合いにも参加ができない。
姉の子ども3人もいちどに相手にできたのは、母も祖母も側にいて、24時間ワンオペではなかったからである。せいぜい長くて半日のことである。わたしが中心に見ていたとしても、いざとなれば応援を頼むことができた環境にあったので安心していられた。そういう実体験を何年も踏んでいたので、自分の置かれた状況では複数の我が子に対応する自信はなかった。
実家の親や義実家の親が手伝ってくれるだろう、と少し期待もあったのだけど。実家は家業が忙しく絶対に遠方には来てはくれなかった。義実家は一種自由人ともいえる人たち。ほとんど干渉がなかった。なので、私も自分から頼ろうという気もなく、できることは一人でしのいできたというわけなのだ。
ということに最近気が付き、自分ってもしかして子育てに特化した人生だったんじゃないの、と思い至ったのである。
たまたまわたしがそこにいた
たまたま10才年上の姉がいたから、子守りをすることになっただけなのだ。
姉は暇そうな高校生のわたしに子守をお願いした。そうでないと落ち着いて上の子どもの参観などいけやしない。
高校生は大人ではないが子ども過ぎることもない。わたしは子守にはうってつけだったのである。
しかし、兄弟姉妹のいるご家庭では、わたしが高校生になってからようやく経験した『小さい子のお守り』をそれこそ兄弟ができた瞬間からやっている可能性はあるわけで。だから別に特別な経験をしているわけでもない。
で、その嵐のような時期が過ぎ去った今は。
ワンオペについて改めて考えている。一通りのことができたとしても、絶対に心身共にしんどくて辛くてどうしようもないときはやってくる。ましてや、見知らぬ土地での子育ては相当にきつい。
きっといろんな思いを抱えて耐えながら育児をしている。淡々と、でも時には浮上できないような重苦しさも感じながら時間は過ぎていった。
泥臭く日常をこなしている
そんなとき、さっと飛び込める場所があればいいのに、と何回も考えた。
こんな思いを抱えて孤独に育児を頑張っているお母さんは、日本全国に沢山いるのだろう。駆け込んでいける場所があればどんなに気が楽になるだろうか。
息子に向き合ってきた時間を全て自分に落とし込めるようになった今。人生ってなんなんだろうね、と思ってしまうのだ。
若いときの経験が結果的に自分を助けている。当時は『やって』と頼まれたから暇だったし何も考えないでやったことなのだが。
夫の転勤によって思いもかけないワンオペ育児になり、子守経験が自分を助けることになるとは。誰だって、仕方ないからとか、やりたくないんだけどとか思いながらやっていることがあるのかもしれない。
子育てのお手伝いがワンオペの自分の力になったように。巡り巡って今の経験が自分を助けることにつながるのかもしれない、なんて。
もちろん全てがそうとは思わない。
今していることの、ほんのちょっとのことがもしかして10年後の自分を助けるのならば。
無駄なことはないというのは本当かもしれない。
と思っているところなのだけど。
でも本当のところは、わからない。
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