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読書メモ 『君たちはどう生きるか』吉野源三郎

小学生の夏休みの宿題に読書感想文がありました。私は子どもの頃はマンガはよく読みましたが、本はあまり読みませんでした。家には親が買ってくれた『少年少女世界の名作文学全集』という百科事典のような分厚い本が本棚にありましたが、そのボリュームに嫌気がさしてほとんど読みませんでした。

宿題の読書感想文は嫌々ながらも書きました。当時の読書感想文は、たいていストーリーのあらすじを書き写して、最後に「面白かったです」といった通りいっぺんの感想を追加するようなものが多かったと思います。私の書いたものも同じです。しかしある年に、新しい書き方を発見しました。あらすじを追うのですが、そのまま書くのではなく、主人公に話しかける文体で書く方法を見つけたのです。例えば「コペル君は、親友が3人いたんだよね。親友の家によく遊びに行ったんだよね」こんな感じです。そうしたら学校で表彰されました。気をよくして、翌年も同じスタイルで書いたら、2回目は表彰されませんでした。

先生が読書感想文全国コンクールの優秀作品を読んでくれました。その感想文はあらすじではなく、その本にまつわる自身の体験を語ったものでした。私は感動して、こういうのが書けると良いなぁと思いました。しかしそう簡単には書けませんでした。

さて、この本を読んだのは、宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』を見たからです。映画の原作ではないのですが、宮崎監督も思うところがあって、同じタイトルを映画につけたと聞き、読んでみたいと思ったのです。映画を見たのが2023年7月、すぐに中古本を購入しました。しかし読み終わったのは2025年1月、1年半もかかってしまいました。

なぜかすいすいとは読み進めなかったのです。けっして面白くなかったわけではなく、難しい本でもありません。時代背景は戦前の1930年代で、私が生まれる前ですが、時代の雰囲気はわかります。

主人公の中学2年のコペル君が軟弱で意気地なしで、子どもの頃の自分に似ているように思いました。私はあまり良い思い出がありません。だからかもしれません。

コペル君は叔父さんに体験を話し、叔父さんはノートにそれを補完する説明を書いて渡します。叔父さんのノートが理屈っぽいからかもしれません。

『君たちはどう生きるか』はもともと文学作品として構想されたものではなく、倫理についての本として書かれたのだと吉野源三郎さんはあとがきで述べています。

映画公開の後、岩波文庫の『君たちはどう生きるか』の累計販売数が第一位になつたそうです。私のような人が多かったのでしょう。


さてとある事件の後で、コペル君は叔父さんへの返答として、お母さんからもらったノートに「自分の将来の生き方」について決意を書き綴ります。

 僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。
 そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。

 コペル君は、こういう考えで生きてゆくようになりました。そして長い長いお話も、ひとまずこれで終わりです。
 そこで、最後に、みなさんにおたずねしたいと思います。
君たちは、どう生きるか。

『君たちはどう生きるか』



私も中学1年の時に、国語の先生に感化されて日記を書き始めました。

日記の表紙にはこう書いてあります。

ぼくは、だれにもおしえられない秘密や、だれにも打ちあけられなかったことを、全部きみ、ダイアリー君に(日記帳)おしえることを、誓います。

そして、きみ(日記帳)がぼくにとって、大切なものとなり、ぼくの心に、潤いをあたえ、大きななぐさめになることを祈ります。


なんとも恥ずかしい話で、コペル君には及びませんが、日記を読んでみると、日記帳は「どう生きるか」を導いていたように思います。

さて、この本はマンガにもなり、ベストセラーになりました。現代の子供たち、若者はどのような感想を持ったのか、聞いてみたいと思いました。



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