コミュニティに引っかかる
私はずっと「コミュニティ」という言葉にひっかかってきました。
「コミュニティ」とは何でしょうか?
地縁のコミュニティ
小学館の精選版日本国語大辞典によれば、「村落、都市、地方など、地域性と共同性という二つの要件を中心に構成されている社会のこと。特に地縁によって自然発生的に成立した基礎社会をいう。住民は同一の地域に居住して共通の社会観念、生活様式、伝統をもち、強い共同体意識がみられる。地域社会。共同体」とあります。
父が転勤族だったので自分には故郷がありません。幼なじみの友達もいません。地縁を持っていません。帰れる故郷のある人をうらやましく思います。子どもの参観日に親通しが幼なじみで仲良く話しているのをうらやましく思いました。
転校生だったので、よそ者でした。いじめられました。よそ者が地縁コミュニティにどうやって入り込んで行けば良いかを子どもの頃から身につけていたように思います。
しばらくはコミュニティを観察します。なるべく目立たないようにします。そして自分と合いそうなコミュニティのキーパーソンを探します。見つけたらその人に近づきます。そしてそのキーパーソンを通してコミュニティに入り込みます。1年目はよそ者でおとなしく、2年目にはそのコミュニティで大きな顔をしていました。
それでも、自分はよそ者であるという意識は消えませんでした。
私には故郷がないんですよと言っていたら、ある人から「何を言ってるんですか、あなたの故郷は日本ですよ!」と言われ、ハッとしました。
そうか日本?
日本が私の故郷?
「日頃ベタベタ付き合っていなくても、まさかのときには隣近所助け合ってくれる、それができるのは日本ですよ。だからあなたの故郷は日本です。日本人のコミュニティは素晴らしいのですよ」
そうか私の故郷は日本ですね。それならばよそ者ではないわけです。
オンライン・コミュニティ
さてネットが普及すると、新しいコミュニティができました。DBM用語辞典によれば「共通する興味を持つ者同士が、様々な意見交換を行う、オンライン上の場所、またはインターネット集会。ある特定の視聴者をねらった商品やサービスを見つける場である」という、いわゆるオンライン・コミュニティです。
パソコン通信の時代からオンライン・コミュニティに関心を持ちました。地縁がない自分には地縁とは違うコミュニティが刺激的でした。ネットの仕事を始めるようになり最初に取り組んだのはオンライン・コミュニティの運営でした。
オンライン・コミュニティ運営のポイント
最初のオンライン・コミュニティの運営は試行錯誤で大変でした。そこで会得した運営のポイントをまとめていました。企業がオンライン・コミュニティを運営するには次の6つのポイントを押さえておかなければなりません。
1)運営の目的を明確にする
何のために企業がオンライン・コミュニティを運営するのか、その目的をきちんと決めておくことが何より重要です。ブランディングなのか? 販促なのか? アフターサービスなのか? ファン作りなのか?
2)評価指標を決める
運営には経費がけっこうかかります。目的に見合った評価指標を決め、目標値を定め、計測し、評価して費用対効果を出さなければなりません。
3)リソースを確保する
片手間ではオンライン・コミュニティは活性化しません。参加者も増えません。書き込みのレスや、ユーザーサポート、継続的なシステムメンテナンス、特集コンテンツやイベント、オフ会の仕掛けも必要になってきます。そのための人的、金銭的リソースの確保は必須です。
4)経営陣に支援者を確保する
企業が運営するオンライン・コミュニティが成功するためには、少なくとも一人、経営陣の中に目的を理解し、積極的に支援してくれる人が欲しいです。大きな力になります。
5)思いが強く面倒見のよいコミュニティ・リーダーが運営する
コミュニティ運営は手間ひまがかかります。トラブルも起こります。参加者が熱くなれば、下手をすれと炎上も起こります。したがって運営には、思いが強く、愛があり、面白がってできる人でないと成功しません。参加者の要望をつかんで地道に運営に反映していかなければ賑わいません。面倒見の良い人、地道に支えられる人が必要です。
6)終了時のやり方を決めておく
企業が運営するオンライン・コミュニティは、目的を達成した場合あるいは評価指標が達成できない場合、コミュニティ運営を閉じることになります。
コミュニティの参加者の中には生きがいになっている人もいますので、どうやってトラブルなく閉鎖できるかを決めておいた方がよいです。代替手段や移行先などをあらかじめ想定しておくとよいでしょう。やり方がまずいと、外部のコミュニティやSNSなどで炎上し、その事実はネット上に消したくても消せぬまま汚点として残ることになります。
オンライン・コミュニティに価値を感じているので、ファンの育成のためにオンライン・コミュニティ開設を推奨してきました。運営者として手を挙げ自ら運営もしましたが、コミュニティ・リーダーには成りきれず、うまく回していくのはなかなか難しいです。
縁側
こんなたとえ話を聞きました。
「コミュニティは、公私の間にある『共』であり、それは家の縁側にあたる」
縁側を解放して、将棋を指して、人が集まっている家には、まさかの時に助けが来ます。ブロック塀で家を囲い、門を固く閉ざしている家の人は、死んでも気づかれません。
家に上げてもてなす必要はありません。麦茶とおせんべいを縁側に置いておくだけです。気がつくと誰かがお菓子を持ってきて並べています。
世話好きよりも放って置く人の方が良いのだそうです。
家に上げると付き合いが濃くなって反対勢力になりかねないそうです。
付かず離れず、その象徴が縁側です。しかし今では縁側のある家は少なくなってしまいました。
共同体感覚
アルフレッド・アドラーの考え方をわかりやすく書かれている岸見一郎さん、古賀史健さん共著の『嫌われる勇気』を興味深く読みました。
人は社会的動物であり絶えず他者との関係において存在しているのだと、アルフレッド・アドラーは言っています。
コミュニティは「共同体感覚」を育む場なのです。
そして、アドラーは「人の悩みはすべて対人関係の悩みである」と言っています。コミュニティに入らないと生きていけず、コミュニティに入ると対人関係で悩むわけです。
ではどうしたら良いのでしょうか。
我々はコミュニティの中で生きていくしかありません。コミュニティには人間関係が必須ですから、あれこれ悩みも発生します。しかし悩みは主観的な解釈で変えることができるとアドラーは教えます。幸福に生きるには、自らの考え方を変えれば良いのだと言うのです。
「コミュニティ」についていろいろ考えてきました。私のコミュニティという言葉への引っかかりはまだまだ続くのです。
最後に私が腹落ちしたコミュニティの定義を紹介します。それは広井良典さんの『コミュニティを問いなおす』に書かれていたものです。コミュニティとは「人間が、それに対して何らかの帰属意識をもち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団」という定義です。
社会的動物である人間は、どこかに帰属したいと思う。帰属することで幸福感と人間関係の悩みを持つ。それでもその帰属先の仲間のために助け合いながら生きていくのですね。