衝動を信じる
あの時あの選択をしたから、今がある。
必然である。
ある日私はランニングをしていた。
サッカーにハマっていた私、セクハラ上司のおかげで休職中の私。
代表戦をスマホで見る前に少し時間があり、今日は何もしていないなぁという気持ち、サッカーの試合観戦を見る前にアドレナリンをどこかにぶつけたかった気持ち。相まって、ランニングをしていた。
ランニングが終わり、程よく汗をかきながらウォーキングに切り替えた。あと5分で試合が始まってしまう。なのに、私は久々に好きな人をご飯に誘おうという気持ちになった。急に。
試合開始まで残り5分。
送る分もろくに考えきれないまま、5分なりに精一杯の頭を使い、送るか悩みながらも、こういう時は勢いだ!サッカーも始まっちゃう!えーい!
…と、LINEを送っていた。
好きな人には今、恋人がいる。
私がLINEを送った時はまだ恋人がいなかった。
その恋人になる人といい感じだったらしいんだけど、色々衝撃的な事を告白され、付き合うか保留状態で彼は病んでいるどピンポイントの瞬間に、私がご飯に誘う連絡していた。
だから、OKしてもらえた。
日程はすぐに決まって2日後に彼の家で会うことになった。
私はその時に好きな人に好きな人がいるということを知ったが、丸半日、ひたすら私は好きな人と2人で語り明かしたり、相談し合ったり、しまいにはハグされそうになったのをきっかけに自分の思いを伝えたり、とっても濃い一日を過ごした。
付き合う事が保留になっていたものが解除されて付き合ったのが、私と会った次の日だった。
私があの時謎の衝動から連絡をしていなければ、サッカーにハマっていなければ、ランニングをしていなければ、休職をして時間がなければ、セクハラ上司に嫌な事を言われ続けた日々がなければ、
私は最後の最後に好きな人と2人きりで会えることはもうなかったのかもしれない。
なるべくしてなった出来事だったのかも。
と、勝手に解釈した。
こんなのまだまだ人生長い目で見たら小さなものだというのも分かっている。
ただ、私はあの時の衝動に身を任せてよかったと思う。人生にはそういう時もあるみたいだ。