あのとき、怪物になれたらよかったのに
初めて映画『キャリー』を見たときは衝撃だった。
❇︎映画のあらすじ❇︎(視聴済みの人は読み飛ばしてください)
厳格なキリスト教徒の母親のもと育った少女キャリー。彼女はおとなしく気弱な性格と冴えない容姿のせいで、いつも学校でいじめられていた。
しかし、ある事件をきっかけに、キャリーいじめの罰を受けたクラスメイトたちは、逆恨みからキャリーをプロムで酷い目に合わせてやろうと画策する。それからなんやかんやあってキャリーはプロムでとんでもない目にあわされ、それをきっかけに隠された超能力を全開放。
プロムにきていたクラスメイトや教師たちを惨殺し、会場を血の海に。自宅に戻ると自分を「汚れているから」と手にかけようとした母親をも惨殺し、自分もろとも家を崩壊させる。
この映画は1976年版と、リメイクされた2013年版があるのだが、私が最初に見たのは1976年版だった。タイトルは元々知っていて、TSUTAYAでDVDをレンタルして見た。
全体的にウワーーー嫌‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎という感じの映画で、学校でのいじめのシーンはあまりにもエグくて胸糞が悪く、家の中のシーンですら母親が狂っておりキャリーがメチャクチャかわいそう。
それなのに、1976年版でキャリーを演じたシシー・スペイセクの顔立ちのおかげで、心のどこかで彼女を「ちょっと不気味だなぁ」と思ってしまう自分もいて。最後のプロムでキャリーが豚の血を浴びて真っ赤になるシーンは、あまりにもショッキングで恐ろしくて思わず目を覆いたくなる。ホラー映画を語る上では外せない、言わずと知れた屈指の名シーンだ(個人的には2013年版よりも1976年版のほうが圧倒的に怖い)。
私が初めて『キャリー』を見たとき、その衝撃的なほどの胸糞の悪さとエグさ、ショッキングさと同じくらい、自分の中のかつての「少女」が声を上げるような、そんな不思議な感覚をおぼえたのだ。
『キャリー』以降にも、「抑圧された思春期少女が超能力に目覚め、怪物化する映画」は続々と現れた。『ブルー・マインド』や『テルマ』、一番最近だと『ハッチング-孵化-』などがその例だ。それぞれ物語の系統こそ少し異なるが、思春期の心や体の成長に戸惑い、人間関係や環境をうけて不安定になる少女は、映画の世界でたびたび怪物化してきた。
そういう「少女怪物化」の映画を見ると、思い出す出来事がある。
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小学3年生の頃、私はキャリーみたいにおとなしくて気が弱くて、映画ほどエグいものではないけれどいじめられていた。1年生のときは家が近くて仲良しだったクラスメイトのリーダー格の女の子Mちゃんが、学年が上がるにつれ急に敵になってしまった。理由は「私がおとなしくぶりっ子をして男子に媚びを売っているから」という出所不明の噂のせいだった。
それでも私は昔みたいにMちゃんと仲良くしたくて、なんとか一緒に帰ろうと、くっつき虫みたいにMちゃんとともに行動をしていた。こうやって一緒にいれば、またいつかMちゃんが1年生の頃みたいに仲良くしてくれると思っていたのだ。
そんなある日、一緒に下校(といっても私が後ろを歩いて付いていっている状態)していると、前を歩くMちゃんと取り巻きの女の子1人が、ある家の前で立ち止まって振り返った。
そこはみかんの木が通りに面して植わっている知らない人の家の前だった。
Mちゃんは、「くらちゃん」と笑って、みかんの木を指差した。
「このみかんを盗めたら、明日から一緒に帰ってあげるよ」と言った。
一瞬何を言われているのかよくわからなくて、すぐに、「でも、これ人の家のやつだよ?」と当たり前のことを言った。
しかし、Mちゃんは
「そんなのわかってるよ。大丈夫、ちょっとだけならバレないよ」
「バレないバレない」
取り巻きの女の子がMちゃんに続いて復唱する。まったく根拠のない「大丈夫」。
心臓がバクバクと高鳴っていた。絶対にやりたくない。やりたくないけど、やらないと、明日から仲間はずれにされてしまうかもしれない。一緒に帰れないかもしれない。でもこれは立派な盗み、犯罪なのでは?
「じゃあ、私たちはあっちの角で見てるから!」
Mちゃんはそう言って、取り巻きの子と一緒に少し先の曲がり角まで走って行ってしまった。
私は冷や汗なのかなんなのか、最早わからないくらいの汗で顔をぬるぬるにして、心臓はかつてないほど早鐘を打ち、やる?やらない?やる?やらない?やる?やらない?もしやらなかったら……を頭の中で永遠に繰り返していた。
しかし、そうやって躊躇っているうちにもMちゃんたちはこちらを見ている。だめだ。やらなきゃ、やらなきゃ……。
みかんはすごく小ぶりで(たぶん金柑だった?)、木の高さも頑張れば手が届くくらいだった。
私は少し背伸びして、実を手に取り、もぎろうと引っ張った。枝が揺れて、葉っぱがガサガサガサと大きな音を立てたが、実はなんとか外れて。
よかった、これで明日からはMちゃんたちと一緒に……と思った次の瞬間、
「ゴラァ! ゴラァ‼︎‼︎」
家の窓が急にガラリと開いて、まるで地鳴りのようなおじさんの怒鳴り声が辺りに響いた。
もう心臓が止まったかと思うくらい、めちゃくちゃビックリして、だけどすぐに状況がわかって、私は「すみません、ごめんなさい、すみません」とおじさんのほうにペコペコと頭を下げた。頭の中は真っ白だった。人生終わった、と思った。
赤べこみたいにひたすら謝る私を見て、おじさんはフンっと鼻を鳴らして、窓をぴしゃん!と閉めた。
私は手に持った黄色くてキラキラと照るみかんを、オロオロしながら木の根元に置いた。そして、家のほうにもう一回頭を下げてから、走ってMちゃんたちのいる曲がり角へ向かった。
当然、そこには誰もいなくなっていた。
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結局、そのあと私は家で母親に一連の出来事をすべて報告した。すると、「みかんの家のおじさんは、なんと私の母親の中学の頃の同級生だった」という衝撃の事実が発覚し、母親が電話でおじさんに謝ってくれた。おじさんは許してくれたけれど、私は盗みをしてしまったという申し訳ない気持ちや、お母さんに迷惑をかけてしまったといういろいろな気持ちがいっぱいで、消えてしまいたかった。
ちなみに、私が「Mちゃんにこう言われたからみかんを盗った」と母親に話したため、当然のようにそれはMちゃんのお母さんにも伝わった。話がどういう進路を辿ったのかはもうわからないが、次の日の朝の会で、先生の口から「昨日こういうことがありました」(名前は伏せられていた)と、クラス全体に報告がされるほど大事になってしまった。
今でも、あの日の緊張感と心臓の高鳴り、窓から顔を出したおじさんの黒メガネ、鬼みたいな顔、そしてゴラァ‼︎‼︎‼︎という怒鳴り声はしっかりと覚えている。
Mちゃんに「みかんを盗らないと一緒に帰らない!」と言われたとき、私もモンスターに……恐ろしく強い異能の「怪物」になれたらよかったのに。
映画の少女たちは「強くなりたい」と願ったわけではない。あれは天からのギフトであり偶然の産物なのだ。でも、だからこそ、羨ましかった。少女たちは突然の超能力に苦しんでいたけれど、それでも、私にはあの能力は「救い」のようにも思えたから。
おじさんに電話をかけるとき、母はどんな気持ちだったんだろう。
驚異の超能力を発揮して、Mちゃんもみかんの木もおじさんの家も何もかも吹き飛ばして……というほどじゃなくても、せめてMちゃんに「そんなことやらない。あなたなんて、一緒にいなくてもいい」とはっきり言えたら。
映画の中で異能のモンスター化する少女たちを見るたびに、そう思うのだ。