
「KOREAN BOXER」佐藤ヒデキ(著)リトルモア
写真集の紹介。
なお、掲載している写真は、ネットから借用したもので、写真集からの写真借用は一切しておりません。

初めて観たボクシングの試合
私が初めて観戦したプロボクシングの試合は小学5年生の冬。“モンスター”井上尚弥選手を育てた大橋秀行会長が現役時代、韓国出身のWBC世界ストロー級(現、ミニマム級)王者 崔漸煥(チェ・ジョンファン)に挑戦し見事9回KOで勝利した一戦でした。
途中までは互角の激しい殴り合いでしたが、やがて強打で上回る大橋会長のパンチが崔選手のボディをとらえ溜まらずしゃがみこむようにダウン、一度は立ち上がったものの、再び大橋会長の左ボディがフックで入りダウン、見事に勝利しました。ただ崔選手も粘り強く手数も非常に多くて、王者としてのプライドも存分に感じさせる好ファイトでした。この試合を皮切りにボクシングの魅力に取り憑かれ現在に至っています。
崔選手もそうしたが、当時の韓国のボクサーは、いわゆる“ファイター型”の突進型が多く、その勢いの凄まじさに、数多くの日本のボクサー達はマットに沈んだものでした。
80年代から90年代にかけての韓国ボクシング界
80年代から90年代にかけての韓国ボクシング界は、黄金時代に相応しい充実ぶり。
張正九(チャン・ジョング、WBC J.フライ級、防衛15回)や柳明佑(ユ・ミョンウ、WBA J.フライ級、防衛17回 韓国の連続防衛記録保持者)の2人を筆頭に、“韓国石の拳”2階級制覇した文成吉(ムン・ソンギル。WBAバンタム級、WBC Jr.バンタム 防衛9回)、竹田益朗、浅川誠司、松本好二と日本の実力者達を倒した朴永均(パク・ヨンギュン WBAフェザー級 防衛8回)。そして重量級にも世界を制した2人の名ボクサーがおり、一人目はカシアス内藤選手を2ラウンドで倒した朴鐘八(パク・チョンパル IBF & WBAスーパーミドル級)、二人目はデビュー以来連続26回KOと言うアジア記録保持者の白仁鉄(ペク・インチョル WBAスーパーミドル級)など、ものすごい充実ぶり。





上記の世界王者以外にも、強打の日本ウェルター級王者だった吉野弘幸選手や佐藤仁徳選手を葬ったOPBE東洋ウェルター級王者 朴政吾(パク・ジュンオー)など、世界へ羽ばたく前に大きな壁となったのも韓国のボクサーでした。

今回紹介する写真家佐藤ヒデキさん入魂の一冊「KOREAN BOXER」には上記のボクサーを含め、元世界王者や世界挑戦者、そして発刊された2003年当時の現役韓国人ボクサーを網羅している徹底ぶり。いやあ素晴らし過ぎる内容!
リング禍の悲劇
なかでも印象的だったのは、世界タイトルマッチでKO負け後に亡くなった金得九(キム・ドゥック)と同じく日本タイトルで敗北後に亡くなったグレート金山(李東春、イ・ドンチュン)のお墓の撮影をしている所。
前者は金得九の死後、金得九の母親と、試合を裁いたレフリーが相次いで自殺をしてしまう悲劇を巻き起こしてしまいます。事を重く見たWBCが、それまで15ラウンド制だった世界戦を12ラウンドし、それにならう形をWBAもとる事になり、現在に至ります。金得九の生涯は、2002年に「チャンピオン」と言うタイトルで映画化されました。


そして後者は、当時日本のボクシング界でも大きく取り上げられていて、私自身もとても印象深く残ってます。“浪速のジョー”として知られる元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎選手のスパーリング・パートナーをつとめ、辰吉選手に「ドンチュンのパンチは、ホンマ硬いわ」と言わしめたグレート金山選手。その強さは本物でした。韓国国内タイトルを2階級制覇し、WBAJr.バンタム級を19回防衛したタイの英雄カオサイ・ギャラクシー選手の世界タイトルにも挑戦経験しましたが、結果は7ラウンドKO負け。カオサイ選手に敗戦後、韓国でチャンスを失い「東に行けば春が訪れる」と自身の名前(=東春)を信じて身寄りもない日本に単身来日しましたが、夢半ばで命を落としてしまい誠に残念でなりません。今でも金山選手を思うと涙がこぼれそうになってしまいます。

李相鎬氏の手厚いサポート
巻末の解説には、佐藤ヒデキさんが如何にハードスケジュールのなかで写真を撮り続けたかの詳細と共に、協力してくれた元東洋Jr.ウェルター級王者で世界タイトルに挑戦した経験を持つ李相鎬(イ・サンホ)の献身的なサポートを初めとする韓国ボクシング関係者の手厚い協力があり実現できた素晴らしいプロジェクト。

ライバルの友情
その解説には、先に述べた東洋ウェルター級王者 朴政吾が、かつて日本の後楽園ホールで戦ったライバルとも言うべき吉野弘幸選手に「吉野の左は信じられないくらいに凄まじい威力だった。それに彼は人間的にも素晴らしい人だった。もう一度チャンピオンになって下さい」とメッセージがあり、2003年当時未だ現役だった吉野選手にそのメッセージが届くと、とても嬉しそうだったとのエピソードが感慨深かったです。
アジア最強でも超えられない中量級の壁
私自身リアルタイムで朴vs吉野を観た事もあり、朴の手数の多さや粘り強さには舌を巻きそうになりましたが、その朴がアイク・クォーティと言う当時の世界王者に挑み、何も出来ずに一方的に敗れたのはとても衝撃的でした。
韓国ボクシング界の復活を切望
ここ20年以上続いている凋落ぶりには残念としか言い様のない韓国ボクシング界。世界王者も池仁珍(チ・インジン)がWBC世界フェザー級王座を2007年に手放してから世界王者が1人も誕生しておらず人気もない状況。
80年代から90年代初頭にかけての輝きを取り戻し、再び日本の良きライバルとして切磋琢磨する“憎いぐらい強い韓国ボクサー”が登場してくれるのを楽しみにしております。