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もっと簡単な理由でよかった。ただ、あなたとコミュニケーションが取りたいから私は努力する
みなさんこんにちは!くぬみです⛅️
えっと、、台湾の大学に復学しました…!
その報告も交えながら、
復学に至るまでの気持ちの変化を少し綴らせてください✋
台湾の大学へ復学
私は一年半の期間、台湾の大学を休学していました。
この休学について詳しくは「休学後の不安感を乗り越えていく」
という記事で触れています。よろしければそちらも読んでみてください💫
9月入学の台湾では、夏休みを終えて新しい学期が9月から始まりました。
現在は、復学をして台湾に戻ってきてから約3週間が経ちました🗓️
また今度書き記そうと思っていますが、やっぱり環境の変化による
様々な影響は、一度来た事がある場所だとしてもあるものですね…笑
たくさん洗礼を受けながらも、なんとか前を向いて過ごしています😶
復学までの道のりとモヤモヤ
この学期から復学しよう!とはなんとなく決心していて、
それまでの準備を淡々と進めていました。
復学の申請や寮の申請、履修登録…やらなきゃに追われる毎日💧
初めて台湾に来る時はサポートありだったVISAの申請も今回は全部一人で。
申請が混んでいて渡航の前日ギリギリでVISAがおりたり、
想定外のお金がかかったり、色々思うようにいかないことも多かったです。問題なく渡航できるのか、という不安がずっとあり、
台湾に着くまでは気が抜けず…かなり疲れました😓
しなきゃ、という気持ちで動いていたけれど、
気持ちはどうにも前向きではなくて。
前回の記事で宣言した通り、逃げない!と決意しましたが、
やりたい…!という感情が乗っていかないなぁ😞と
モヤモヤしていた毎日でした。
復学前のある日…ずっと劣等感に溺れていた。
ずっと劣等感に溺れていた。
というのも、戻るまで日本にいた期間にシャワーを浴びながら、
台湾に戻ることを考えていた時。
やっぱり私が台湾に戻ったら、人の三倍努力して、殻にこもって、
勉強しまくるしかないのかな。
そういう風に、自分を殺すぐらいの気持ちで頑張らなければ、
台湾の生活を送るという土俵にも立てないのではないかと感じていました。
もし復学後に殻に篭る生活をしたら、冬休みで日本に一時帰国するときに、
「自分を殺して頑張ってた…」って泣き崩れる姿がイメージされたんです。
…こういう未来の自分で、正しいのだろうか?
でも、できている人を見ると劣等感を感じるのは事実で。誰にでもその感情を抱くことはあるだろうけど、自分は自分!って切り離せなかった。
その劣等感と、自分を責める心に打ち勝つためにも篭る選択肢しかないのかと考え方がアリの目として偏ってしまっていました。
部屋でとにかくずっと勉強するってなったら、
試験のために勉強するという目標を立てるのが一般的かな??
試験を頑張る理由として頭に浮かぶのは、
「就職のために」「評価のために」「数字で表すために」
どれもこれも他人ベースで考えているんじゃないの?と気づきました。
他人に認めてもらうためだけに頑張ろうとしている、後づけというか。
自分の気持ちは空っぽな感じ。
試験のために頑張って結局そのあとどうするの見えない。
自分のゴールは人に認められることなのか?🙄
でも中国語・英語を話して勉強に一生懸命で努力している人には憧れる。
自分との違いってなんだろう?
なぜ自分はこんなにも気持ちが入っていかないんだろう。
何が、何が、違うんだろう。
ってシャワーを浴びながら考えていました。
中国語が話せるようになりたいから…?
「中国語が話せるようになりたいから」
って言葉。
私も自分の口で発したことがあるセリフです。
だし、聴き慣れた、読み慣れた文言だけど。
よく考えると、ここにはいろんな意味が詰まっています。
パッと入ってくるのは、中国語が話せたら就職に役立つし、
「武器になる」というイメージ。
「中国語=武器」というイメージが強く染み付いてた気がします⚡️
だから、自分もゴールとして、中国語が話せたら利益がある。
お金・人材的な面で、という固定観念がどうしても強かった。
でも、それって自分の気持ちで思っていたわけではなくて、
周りに流されて自分もそう思っていると勘違いしていたと気づきました。
確かに、中国語ができるようになれば〜で打ち出されるのは
そういう利益なのは当たり前で、事実に変わりはないでしょうし、
そこを否定しようとは思いません。
でも、自分は誰かに評価される際に、
中国語の能力を数字で表して収入や仕事の範囲を広げるために、
中国語を勉強したいのか?
答えはNO
中国語を利用する仕事のイメージがそもそもつかないし、
そういう仕事をメインにして、、、というわけでもないと。
どっちかというと+aで考えているような感じで。
となると、私はなんのために中国語が話したいと思っているのか?
………その答えは、
「あなたと話したいから」
「価値観の違いを楽しんだり、共感したいの」
という気持ち、だったんだと気づきました。
努力する目的を、間違えていた。
今までに出会った台湾で優しくしてくれた人々、友達。
全然連絡取れてないよね😢
それは、私の中国語の自信がないし、
こんなにも中国語ができないんだ。英語ができないんだ。
って思われて失望されたくなくて、連絡できていませんでした。
だからこそ、中国語を話せるようにもっとなってから
完璧な状態であなたと話したい、って私のエゴだった。
【試験を頑張る→自信と能力がつく→コミュニケーションが取れる】
という風に考えていたけれど。
でも実際はちょっと方向性を間違えていたのかもしれない。
あなたと話したいから、異文化を理解したいから。
【コミュニケーションを取りたい→だから私は勉強する】
これが正しく力を生かす考え方だったと思う。
前の記事で書いたのですが、「異文化を共有する」ということが
私の人生において軸になっていると気づいたから、
自分の気持ちをどう繋げていけばいいのか、点と点が繋がりました✨
もっと簡単な理由でいいんだよ。
シャワーを浴びながら、あ、私はあなたと話したかったんだよ。
という相手の顔が何人も浮かびました💭あなたたちと話すためには、試験とか、そういうものを経た私じゃないとダメと思っていた。
でも違った。
あなたたちと話すために、私は頑張りたいの。
そうやって胸を張って言えればよかったなって。
もっと、簡単な理由でよかった。
自分を縛って、完璧の檻に入れていたのは自分自身だったと気づきました。
試験などのツールを使うことはいいけど、でもまずは、目の前にいるあなたとコミュニケーションを取りたいから、私は勉強して、努力したい!💪
その覚悟が決まった瞬間だった。
だから、籠もって勉強しようとすること、試験のために頑張る、
という目的に違和感を感じていたんだと思います。
周りを跳ね除けるのは、私の目標からは遠のく。
もちろん一人で向き合う時間も勉強の中で重要です。
でも、最終的な目標。
「会話するために」という観点から逃げないようにしたいと思います。
立ち止まってもいい。
今、何か目的に向かって努力している方。
目的は分からずとも、1日1日を頑張って過ごしている方。
道がわからなくなることがあると思います。
なんのために頑張っているんだろう?って、
でも頑張らざるを得ない状況で逃げられないって。
でも、立ち止まっていいと思います🤲
完璧を求めすぎないで、もっと簡単な理由でいいと思います。
何かに悩んだ時間は、次のステップのために活かされますし、
経験は決して無駄にはならない。
ただただ無我夢中でもがいた先にも、道は現れる。
いつか、モヤモヤも晴れます!🌼
ながーーくなってしまいましたが、
お付き合いいただきありがとうございました🌷
スキ🤍や愛のあるコメントをお待ちしています!
またお会いしましょう👋