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映画「ソナチネ」ロシアンルーレットは村川(親)からケン(子)への愛

何度鳥肌が立ったか分からない。
この場面を30回くらい見て、村川の真意に気づいて震えた。
また、北野監督の凄さにも震えた。
この場面の本当の意味が知れ渡っていたら、映画の賞を総なめしたのではないだろうか。
いや、むしろ映画の賞が霞んで見えるくらいだ。


ロシアンルーレット

中松組の良二、村川組のケン。
二人が砂浜で頭の上に乗せたビール缶をめがけて銃を撃つ遊びに興じている。
少し高い場所からそれを見る村川の渋い表情。

村川は二人に近づいていき、ロシアンルーレットを執り行う。

じゃんけん勝敗

1回目 村川:パー ケン:なし 良二:グー
 村川「お前もやれよ」とケンに促す。発砲しない。
(1回目に出したものは映像には映っていないが、良二の手の形の名残と表情から推測)
2回目 村川:パー ケン:グー 良二:パー
 村川 ケンに対し発砲
3回目 村川:パー ケン:グー 良二:パー
 村川 ケンに対し発砲
4回目 村川:パー ケン:チョキ 良二:チョキ
 村川 自分のこめかみに銃口を当て発砲

じゃんけん実況中継

ずっと村川はパーを出し続けている。
これが、どういうことを示しているか。

私の推測はこうだ。
おそらく、これまでにやってきた村川組(あるいは村川とケンのみ)のじゃんけんで出来レースのように親分はパー、子分はグーとやってきた慣例があった。

だから、1回目のじゃんけんとき、「勝つか負けるか分からない良二」と異なり、「確実に負けるケン」は怯んでじゃんけんをやらなかった。(やれなかった。)
が、村川に「お前もやれよ」と言われる。

ケンは沈痛な表情で渋々参戦する。
”これまでと同じように”ケンは村川に気を遣い、2回目、3回目はグーを出した。やっぱりケンは負けた。

ついに、4回目。
3回目が終わった時点で、ケンも良二も、村川が4回目もパーを出すと予想し、チョキを出した。
負けたくない(死にたくない)から、本気のジャンケンだ。
缶を撃ち合っているときと全く異なり、ケンも良二も必死の形相だ。

4回目は村川が負ける。
不敵な笑みを浮かべながら自身のこめかみに銃口を当て発砲する村川。
・・・空砲。

終始、観ている人は戸惑い、良二とケンと同じような気持ちになるだろう。
「エッ、何考えてるの、この人!? 気が狂ったのか!?」みたいな。
呆気に取られた二人は呆然と立ち尽くして、笑いながら去っていく村川の後ろ姿を見つめる。

観客も誘い込む手品のような手法もすごいが、もっと興味深いのは人間(特に村川)の描き方だ。

村川は「危険な遊び」を止めさせたかった

村川は若い二人の「危険な遊び」を止めさせたかったのだと思う。
ただし、「止めろ」と直接言わない。
村川が言葉で言うより、自ら死の恐怖を「体感」し、自ら考え選択して止めて(辞めて)ほしかったのだと思う。

では、なぜ村川は「危険な遊び」を止めさせたかったのか。
・背景として、村川組は明るい未来が望めないであろうこと
・子(子分)に対して親(親分)ができること、教えられることは何か
・若いときの自分を重ねた
・若い人はカタギに戻れる可能性が残っている
・ロシアンルーレットがヤクザの世界の象徴でもある(誰か死ぬまで終わらない、悲惨な結末しか待っていない)
・「お前たちが遊びで撃ち合うにはまだ幼いよ」と諭す意味
・おそらく、ケンも良二も、人を撃ったことも撃たれた経験もない。

つまり、本心では、若い二人、とりわけケンに危険な遊び(ヤクザ)を辞めてほしかったのだ。
おそらく、ケンにはもっと前からこの気持ちは持っていたはず。
冒頭の方で村川とケンが車中で会話している場面があるが、
「ヤクザやめたくなっちゃったな」と村川が言ったあたりで
「こんなみっともない親分ならとっとと辞めよう」と思ってくれたらいいのにな、と思っているんじゃないかと思う。


じゃんけん実況中継(裏シナリオ)

太字はケンに対しての心の言葉を私なりに想像して噛み砕いたもの。

村川「拳銃貸せ」
「俺を見てきたお前ならもうわかるよな。」

1回目
村川「お前もやれよ」
「お前を試してやるよ、お前ならできるはず」

2回目
村川「負けたな」
「ケン、俺を超えてみろよ」

3回目
村川「また負け?」
「俺を踏みつけてでも超えてみろよ。ケン、やれよ。」

4回目
良二、ケン「危ないじゃないっすか」「最後じゃないっすか」
村川「最後だよ」
「これが最後のチャンスだ。ケン、お願いだ、やれ。やってくれ。」

ケン(村川に)「負けましたよ」
村川(笑いながら)「俺?」
「お前、やればできるじゃないか。よくやった、ケン。俺の負けだよ。」

笑いながら銃口をこめかみに当てる村川。
「ケン、卒業おめでとう。俺が教えることはもうないよ。この世に未練はないよ。じゃ、元気でな。」

4回目のじゃんけん前後とき、村川の視線はケンの方を見ている。
気持ちがケンにまっすぐに向いている。
親から子への旅立ち(自立)を祝う気持ち。

だから、村川のこめかみへの発砲=ケンへの餞の言葉でもあり、別れの儀式でもあるのだ。

村川が笑っていた理由

村川は気が狂って笑っていたのではない。
嬉しかったのだ。
ケンが親分である自分との慣習を破って(裏切って)までも、自分が生きることを選択してくれたから。
それが、真っ当な人間、普通の人間の感覚なんだよ、と。
ケンの成長を感じて、嬉しかったのだ。
だから、親として教えることはもうないし、思い残すことはない。
ケンにはカタギに戻ってでも生き抜いてってほしい。
俺は安心して死ねる。


幸は蜘蛛の糸だった

それまでのヤクザ人生で酷いことをしてきた村川だっただろうが、若い子分たちのために自らを犠牲にしてでも道を指し示すという「徳」を積んだことで、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」=天から降りてきたのが幸だったのだろう。

ちなみに、最期にあの場所を選んだのは、幸に一番に見つけてほしかったからだろう。


逃げ出した良二、それでよし

村川が一人で阿南組、北島組のいる場所に向かう場面。
激しい銃撃戦を外からみていた良二は恐ろしくなって逃げ出してしまう。
これで良かったのだ。村川の望む結果だ。
村川の子分ではないが、若い人にはカタギの道に戻ってほしい。
それが亡くなったケンが叶えられなかったことでもあるのだから。
そう思っていただろう。


村川の本当の姿

冒頭で、田舎に帰るという理由で脱退する子分に対して穏便な対応だったのが伺えるし(結局、その子分は組に戻ってしまったが)、銃撃戦が予想される現場にはケンなど若い舎弟を連れて行かないことから考えても、村川が子分に対してどのような考えでいるのかが分かる。

中松組や北島組が簡単に子分を切り捨てるのに対し、村川は異なる。
幸を助手席に乗せて運転する際、左右ブレブレなハンドルや超低速運転をしていることから、本当は繊細で慎重な性格なのだろう。

この村川がケンを目の前で殺されたときの気持ちを想像すると、、、
もう言葉にならない。
ケンと村川の言葉のない最後の別れ。

村川は、最期に何を思ったのだろうか。



・・・・・・・・・

いやー、すごすぎて言葉にならない。
脱帽。
米津さんやwowakaさんもこの作品が好きらしいのだが、腑に落ちた。

北野監督の他の作品も観たくなった。




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