【考察④】「米津玄師/灰色と青」 〜2人は”銀河鉄道”に乗っていた。そして、、〜
今回は、何が言いたいかって、米津さんは天才ってことだ。
天才の上に天才がのった、天才ましまし丼だ(!?笑)
これを読んだ方には(いや読まなくても)、「灰色と青」のMVをループ再生していただきたい。
(※今回も、推測と妄想です。また、この記事では「銀河鉄道の夜」の詳しい内容解説はしません。)
(男性1=米津さん、男性2=菅田さん)
「銀河鉄道の夜」との関連性
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。言わずと知れた名作だ。
米津さんが宮沢賢治作品と深い関わりがあるという情報は持っていたので、たまたまだが、頭の中でこの作品と結びついた。
「灰色と青」と「銀河鉄道の夜」の共通点について、一つずつ見ていこうと思う。
1.彼らは、ジョバンニとカムパネルラだった
カムパネルラの描写
カムパネルラは「黒い上着」を着て「背が高い」。
一方、ジョバンニは「窮屈な上着」「上着のポケット」「上着のボタン」の表現にとどまる。「窮屈で、ポケットとボタンがついている上着」ということになる。
着ているものから、
男性1=カムパネルラ
男性2=ジョバンニ
となる。
2. 2人が乗っているのは銀河鉄道
夜の公園のブランコ。
MVで二人同時にブランコを漕ぐことはないが、それぞれ過去を思い出して、並んで漕いでいるかのようなシーンがある。
ブランコだけど、ブランコじゃなかった。
「夢だけど、夢じゃなかった!」、みたいな。
そう、これはブランコと見せかけておいて、実は銀河鉄道だった。
二人は、夏の夜空を旅する銀河鉄道に揺られていた。
3.「茂みに落として探し回った靴」
少年時代、茂みに落とした靴は男性1の靴だった。
これも、銀河鉄道の話の中に出てくる裸足の男の子がモチーフ。
男性1の靴に注目してほしい。
よく見ると、
公園では両足とも白いスニーカーを履いているが、屋上のシーンでは、片方は白いスニーカーを履いているが、もう片方は映っていない。
映っていない片方は履いていないのだろう。
4.公園での煙、霞
銀河鉄道の夜でいうところの、「狼煙(のろし)」であり、「青白い霧」。
(煙の別の意味は次回の記事に掲載予定。)
5.男性1が屋上に行く意味
男性1が、屋上=天上(天国)に行く=
カムパネルラが銀河鉄道を降りる=
有明の月→新月になる=
死と生。
一方、公園に残った男性2は、光明が差し込む天を仰ぎながら、乞うように両腕を限りなく上方に伸ばす。
=ジョバンニは「鉄砲玉のように立ち上がり」、カムパネルラがいなくなったことに気づき、泣き出す。
輪廻転生を描く「灰色と青」
1.MVでの電車のシーン
男性1が電車に乗る最初と最後のシーンが同じ。
死と生を描いている。
2.月の生まれ変わりのサイクル
過去に投稿した【考察②】に書いたように、月は新月から始まり、次の新月まで約30日かけて満ち欠けを繰り返す。
この図は円環で表され=輪廻転生となる。
新月は死でもあり、生でもある。
3.オープニングのハミング音
オープニングの歌い出しの前に、ハミング音が聞こえる。
これは、讃美歌をイメージしたもの、とも言える。
「銀河鉄道の夜」でも、終盤で讃美歌が流れる場面がある。
死への追悼、鎮魂の意味とともに、
生への祝福もあるだろう。
4.「灰色と青」が意味するもの
銀河鉄道において、
カムパネルラは「ねずみ色の切符」、
ジョバンニは「緑色の紙」
を持っている。
ねずみ色=灰色、緑色=青(信号機のように緑色を青と呼ぶこともあるので。)とすると、
「灰色と青」=「死と生」
となる。
5.歌詞の最後から生まれる「灰」
歌の最後にある、この歌詞をよく見てもらいたい。
月、朝日、青、の順番に登場する。
これを全て色に置き換えると、
黄、赤、青になる。
近い色を並べ円状にした色相環(しきそうかん)上にこの3色を結ぶ線を描くと三角形ができ、黄赤青の3原色を混色すると灰色ができる。
これはつまり、肉体(月)が死んで灰になるということだ。
どういうことかというと、漢字の「胸」「腸」「肝」など、体を表す漢字によく使われている「にくづき」はもともと肉から形が変わってできたもの。
月=男性1であり、肉体である。それが灰色になるので、死ぬということだ。
重要なサビで繰り返される「どれだけ背丈が変わろうとも」の「背」に月が含まれていること=
肉体の丈が変わろうとも=
寿命がどの長さでも=
「亡くなっても」と考えてもいいだろう。
「どれだけ背丈が変わろうとも、変わらない何かがありますように」
は、
例え僕が死んだとしても、あなたに変わらない何かがありますように。
例え僕が死んだとしても、僕に変わらない何かがありますように。
例えあなたが亡くなったとしても、あなたに変わらない何かがありますように。
例えあなたが亡くなったとしても、僕に変わらない何かがありますように。
と、たくさんの意味がこめられているのではないだろうか。
旅立つ人は、残された人のことを想い、
残された人は、旅立つ人のことを想っている。
そして
その相手を大事に想う気持ちは、いつになっても、例え会えなくなったとしても変わらない。
6.歌詞の最初と最後をつなぐ「死と生」
歌詞の最後は、「何もないと笑える朝日がきて はじまりは青い色」
歌詞の最初は、「袖丈が覚束ない 夏の終わり」
最後なのに、「はじまり」
最初なのに、「終わり」なのだ。
これは輪廻転生だ。
米津さんの別の曲「月を見ていた」でも輪廻転生を描いている。
また、「LOSER」で出てくる「輪廻」「灰 左様なら」も、この曲に通じるところがある。
死は終わりだけど、終わりじゃなくて、また新しい生になる。
新しい命として、また始まる。
「袖丈が覚束ない」を「泣いている」と捉えると、産声になる。
讃美歌に包まれながら、「オギャー」と威勢よく第一声を出して始まるのだ。
また、「始まりは青い色」について。
この曲の歌い出である「そでたけが〜」の「そ」の音は「ソの#(シャープ)」。
つまり「ソ」と「ラ」の間=空=青。
始まりが青い色になっている。
これって偶然だろうか!?
最後に、もう一回言っておきたい。
米津さんは天才だ。
これを読んだ方には、ぜひ今すぐ「灰色と青」のMVをループ再生していただきたい。
そう、輪廻転生だけに(笑)
(次回へ続く)
参考・引用文献
新編 銀河鉄道の夜/宮沢賢治/新潮文庫
アニメ版銀河鉄道の夜/原作宮澤賢治/理論社
油絵の教科書/アトリエ21 上田耕造/新星出版社
『銀河鉄道の夜』とは何か/村瀬学/大和書房
あとがき
・・・これを知ってしまったときもそうだが、書いている今も米津さんのすごさに震えている。
そして、宮沢賢治と米津さんの考え方に少しでも触れられたような気がして感慨深い。
大切な人を想いながら、またこの曲を聞こうと思った。