僕たちは寂しさを埋めるために生きている
人間の三大欲求は食欲・睡眠欲・性欲と言われている。
食事と睡眠はなくなると当然死んでしまうが、性行為ができなくても死ぬわけではない。
実は三大欲求の3つ目は性欲ではなく「寂しさ」なのではないか?
ヘビーリスナーであるコテンラジオで、ゲスト出演されていたAV監督の二村ヒトシさんが話していたことだが、恐ろしいほどの納得感があった。
性的な話題に抵抗無い方はぜひ聞いてみていただきたい。
人間は社会的な生き物だ。
そもそも「人間」という言葉も「人」と「間」で構成されており、人は単独では存在し得ないことが暗に意味されているように思える。
人と人との繋がりこそが人間を人間たらしめてると考えると、食事と睡眠が無いと人間は死んでしまうのと同様に、繋がりを感じられないのは「死」を意味するといっても差し支えないのかもしれない。
実際に「孤独死」という言葉があるように、やはり寂しいと人は死んでしまうのだろう。
二村さんの考察を聞いて以来、食事と睡眠以外の諸活動は全て寂しさを埋める、もしくは紛らわすために行っているのではないか?と考えるようになった。
僕はコーチングに夢中になっているが、人生一貫してプライベートでも仕事でも昔から1on1で話すことが大好きである。
その動機としては、1on1で本音や内面の深い気持ちをシェアし合うことで、人との繋がりを強く感じられると思ってるからだ。
要は寂しさを埋めるためのアクションとして、1on1が非常に効果的だと考えているから、積極的に1on1を行い続けているのだと思う。
どんなアクションで寂しさを埋めているかは、人によって様々だ。
これは勝手な仮説だが、組織やコミュニティを立ち上げて、多くの人を巻き込むことを積極的に行ってる人は、沢山の人に囲まれることが寂しさを埋める効果的なアクションだと捉えているのかもしれない。
また、仕事で圧倒的な成果を出すことに情熱を注いでる人は、成果に対する他者や社会からの承認で自分の寂しさを埋めてるのかもしれないなと思うと、全員がそうでなくともあながちズレていないような気がしている。
僕は大学時代、浅く広い関係性に虚しさを感じて、どこのコミュニティにも属さずに小説ばかり読んでいた。
リアルな関係性の中に深い繋がりを感じられない寂しさを、小説の登場人物や作者に感情移入することで、紛らわそうとしていたんだと思う。
僕も経験したことがあるが、引きこもってゲームや映画などに没頭する行為も、完全にリアルな人との繋がりを感じられない寂しさを紛らわす行為だ。
他にも普段妻や子供に対して、大人気もなく過剰にイラっとしてしまうことがあるが、一番身近な家族という存在にも関わらず思いが伝わらない、わかってもらえないことへの寂しさ故の反応だと捉えると、非常にしっくりくる。
二村さんは、資本主義も経済も戦争も全部大人が寂しいからやっているのではと話していたが、本当にそんな気がしてくる。
何かに猛烈にエネルギーを注ぐ行為も、反対に何かから逃避して無気力になっている状態も、全て根底には「寂しさ」があるからだと考えると、整合されてくる気がする。
人間は誰もが寂しい。そして死ぬまで寂しさが完全に埋ることはなく、寂しさと同居し続けることが宿命付けられている。
しかし別にこれは何ら憂うことではないと思う。
寂しさと切っても切り離せないのななら、自分の寂しさの解像度を上げ、寂しさについてしっかり理解を深めることが重要だ。
建設的に寂しさを埋められる行為とそうではない行為があると思う。
本当は人と繋がりたいのに、寂しさを紛らわそうと引きこもるのは、寂しさをより増強してしまう。
僕もそうだが、人間だから寂しさに向き合えず逃避を選んでしまうこともある。
そんな中でも自分にとって寂しさを埋められる効果的なアクションを知り、実際に採用していくことで、建設的に寂しさと向き合うことができるようになる。
完璧を目指さなくてもよい。コツコツ寂しさとの向き合い方を磨いていくことで、人生は豊かになっていくのではないか。
こんなことを言ったら怒られるかもしれないが、これからも僕は建設的に寂しさを埋めるためにコーチングを行っていくと思う。
最後に
普段コーチングでは、寂しさの解像度を上げ、建設的に寂しさを埋めるアクションを言語化するお手伝いもしています。
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