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カワクニの おいしいエッセイ集

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エッセイの中から”食べ物”テーマのものだけ集めてマガジンにまとめました。
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#川崎クニハル

ここ最近の『美味しかった…』

抗癌治療はずっと続けているが、この2年間、現状癌の進行はピタリと止まり、体調も安定してい…

川崎クニハル
1か月前
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昭和であった20 〜ご馳走様!年末年始編 〜

昭和のあの時代… 我々子供たちにとって1年のうちで一番のイベントは何と言っても年末年始だっ…

川崎クニハル
2か月前
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昭和であった19 〜ご馳走様!外食編 〜

私の子供時代… 昭和30年代、一般家庭の外食はかなり特別なものだった。 地元の商店街にある外…

川崎クニハル
2か月前
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昭和であった18 〜ご馳走様!夕食編 2〜

子供時代の我が家の夕ご飯の続きである。 表紙の写真は当時の一般家庭の極く普通の夕飯献立。 …

川崎クニハル
2か月前
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昭和であった17 〜ご馳走様!夕食編 1 〜

さて、いよいよ昭和の時代の我が家のメインディッシュの話… 夕食のシェフはもちろん母である…

川崎クニハル
2か月前
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昭和であった16 〜ご馳走様!昼食間食編 〜

今も昔も子供の昼食と言えば学校給食である。 私の通っていた品川の小学校は区立。 環状6号線…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった15 〜ご馳走様!朝食編 〜

我が家は典型的な昭和のサラリーマン家庭である。 だが、振り返ってみるとその食生活は当時としては比較的贅沢で、同じ社宅の家庭とは少し異なっていたと思う。 それは父親の生い立ちに関わっている。 父は我々と違って恐ろしく育ちが良い。 戦前の財閥、男爵家の長男だった。 それが、徴兵で南方戦線に送られ、離れ小島に取り残され、食うや食わずの餓死寸前の状況を潜り抜けてきた。 戦後復員してみると、財閥解体で資産は全て没収されてしまっていた。 そして、生きていく為、勤め人となったという経緯であ

昭和であった14 〜昭和30年代、子供飲料事情!〜

先日聞いた話だが、最近の日本の子供は『水』を好まないらしい。 何故なら何の味もしないから…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった13 〜やっぱ、夏はアイス!〜

昭和中期、少年時代の『美味しい』について語ってきた。 カテゴリー分けて掲載してきたが、今…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった12 〜おやつおやつ!2〜

さてさて、私の子供時代の記憶の中の『おやつ』について続きの話を続けよう。 前回も書いたが…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった11 〜おやつおやつ!1〜

子供時代の昭和30年代を思い返すと、世の中はまだ栄養事情が大分悪かった様に思う。 体現的に…

川崎クニハル
3か月前
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尾山台は美味しいよ!

末期の膵臓癌が発見され、余命わずかの宣告を受けたのは一昨年の暮れのこと。 以来抗がん治療…

川崎クニハル
3か月前
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要介護1と甘党の行方

キモセラピー・抗癌化学治療を始めてから4ヶ月。 病院からは当初から、いざという時のために介…

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癌とキャンディー

癌を患って以来、抗がん治療は何とかかんとか、幸か不幸か、上手く進んでいる。 医者も一回は匙を投げかけたものの、思わぬ好結果に驚いているようだ。 その抗癌治療を始めて以来3ヶ月…実はやけに甘いものが欲しくなる。 『癌』は糖分が大好物…というまことしやかな噂があるが、担当医からは「一切気にしないで食べたいものがあったら好きなだけ食べて下さい」と仰せつかったので従っている。 お見舞いにもいろんなものを頂いたが、中でもフルーツ系やスィーツ系は、食欲が無い時でも美味しく頂けるので元