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CAR COLUMN

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モータージャーナリストの鳴海邦彦が徒然に綴るカーコラム。
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2021年9月の記事一覧

カーコラム「Gr.B時代を終焉に導いた究極のモンスター "ランチャ デルタ S4 Gr.B"」

 ランチャデルタS4は、ラリー界の名門、イタリアのランチャが、WRC制覇のため先端技術の粋を…

カーコラム「D1 GRAND PRIX誕生秘話」

 今となればドリフトやD1は、クルマに興味がない一般人ですら一度はその名を聞いたことがある…

カーコラム「ジル・パニッツィに見る " 走りのセオリー "」

 " 走る不動明王 " ことジル・パニッツィのドライビングテクニックはスポーツドライビングの…

カーコラム「WRCメモワール '92アクロポリスラリー なぜか同じコーナーで落ちた2台のS…

 1980年のポルトガルラリーでは、フォードワークスのエスコート・マークII、ロスマンズカラー…

カーコラム「WRCメモワール フランソワ・デルクールの衝撃的なモンテ・デビュー」

 スペルどおり「フランコイス」と呼ぶ人もいるし、普通は「フランソワ」と呼ばれている。でも…

カーコラム「WRCメモワール 記念すべきWRC初勝利を目前にしてのリタイア! ブルーノ・…

 毎年、シーズンが変わるごとにワークスシートを失う有力ドライバーたちが出現する。2001年か…

カーコラム「WRCメモワール 95年スウェーデン、チームオーダーを無視しトップを走るマキネンにかけられた大反乱疑惑」

 1994年のフィンランド。トミ・マキネンはフォードに1戦だけの約束でチャーターされ、独走で勝ってしまった。  彼の才能はグループNでのギャラン時代から高く評価されていたが、あの時の1000湖ラリーは、まさに"マキネン速し"であった。そして95年のWRC、マキネンは正式に三菱ワークスへと入るのである。  三菱の木全巌総監督は、前々から「英語がしゃべれるようになったらウチに入れてやるよ」と語っていたが、この頃には言葉のほうもかなり上達していた。そして初戦のモンテカルロラリー

カーコラム「WRCメモワール ラリーデビュー当時、地元イギリスでクラッシュの連続の…

 あまりにもクラッシュが多いので、マクレーという名前とクラッシュを合わせて「マックラッシ…

カーコラム「WRCメモワール フォーミュラ2(F2)がツール・ド・コルスで勝った日」

 今はもう見ることができないが、かつてWRCには「フォーミュラ2(F2)」というカテゴリ-があ…

カーコラム「WRCメモワール 4台のセリカGT-FOURに150名以上のTTEスタッフ。史上最大の…

 まずは上の写真を見てほしい。これは1993年のサファリラリー、そのスタート前日、車検を終…

カーコラム「WRCメモワール 1000 Lakes Rally'90 ラリー直前に左足に大ケガを負ったカ…

 WRCでは各ワークスチームのプレスコンファレンスがラリースタートの前日にある。それは、199…

カーコラム「WRCメモワール 91年サファリでデビューしたニッサンWRC復活の象徴 "パル…

 WRCは1973年に自動車メーカーのメイクス選手権として制定された。  当然のごとく、それ以…

カーコラム「WRCメモワール '93 Rally Argentina コ・ドライバーの突然の病院送りで急…

 予定の時刻になっても現れないユハ・ピロネン。これは変だと思って、ホテルの部屋のドアを開…