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カーコラム「WRCメモワール 95年スウェーデン、チームオーダーを無視しトップを走るマキネンにかけられた大反乱疑惑」

 1994年のフィンランド。トミ・マキネンはフォードに1戦だけの約束でチャーターされ、独走で勝ってしまった。

 彼の才能はグループNでのギャラン時代から高く評価されていたが、あの時の1000湖ラリーは、まさに"マキネン速し"であった。そして95年のWRC、マキネンは正式に三菱ワークスへと入るのである。

 三菱の木全巌総監督は、前々から「英語がしゃべれるようになったらウチに入れてやるよ」と語っていたが、この頃には言葉のほうもかなり上達していた。そして初戦のモンテカルロラリーは4位、次のラリーがスウェーデンであった。

 実はこの年から三菱は電子制御による電磁クラッチをもったアクティブ・デフというものを付けていた。最終的にはセンター、フロント、リヤの3個のデフともこの方式になるが、初期モデルはセンターとフロントの2か所に三菱独自のアクティブ・デフが付いていた。この装置、当時としては抜群の性能で、特にスリッピーな路面では最高のトラクションを生んだのである。そして、それを開発していたのは地元スウェーデン人のケネス・エリクソンだった。

 三菱では、エリクソンがエース、新しく入ったマキネンはセカンドドライバーという立場にあった。だが最初のSS1、カールスタッド市内にある6.57kmのショートSSで、マキネンはいきなりのトップタイムをマークしてしまった。同じ4分21秒でトヨタのディディエ・オリオールとトーマス・ラドストロムもいたが、マキネンはエリクソンより速かった。

 そんなマキネンに、エリクソンはSS2の同秒2位タイムで並んだ。そしてSS3ではSSベスト、SS4もエリクソンのベストタイムで、三菱での先輩であることを示した。これでラリーリーダーはエリクソンになったのだが、SS5では再びマキネンのSSベスト、2人は同秒トップになった。次のSS6はマキネンのSSベスト、第1レグ最後のSS8で再びエリクソンのベストタイム。2人の差は、第1レグでエリクソンがわずか2秒のリードという接戦であった。

 第2レグ。2人の争いは最初のSS9でマキネンのベストタイム。これでマキネンがトータル3秒のリード。それを次のSS10ではエリクソンがSSベストをマーク。わずか1秒だがリードしていた。三菱にとっては、まったくのハラハラドキドキのシーソーゲーム。

 その一方で、前戦のモンテに初勝利したスバルはどん底にいた。エース、カルロス・サインツのエンジンがブローアップしたのだ。結果的にはこのエンジン、コリン・マクレーとマッツ・ヨンソンほか2台でも最終レグのスタートと同時に壊れてしまった。エンジン内部の部品の問題だった。そんな大パニックもあったが、第2レグは、そのままエリクソンがリード。わずか1秒差だがマキネンが2位という結果になった。

 この時、3位のトヨタ、ダラストロムとは1分29秒の大差。三菱のランサーエボリューションの初勝利は決まったようなものだった。しかし、このままエリクソンとマキネンで競り合ったら、スリッピーなスウェーデンのこと、何が起きても不思議ではない。そこで三菱ワークスは、エリクソンとマキネンの両者に向かって、「第2レグの順位のままゴールせよ」と、エリクソン1位、マキネン2位のチームオーダーを出した。しかし第3レグが始まると、最初のSS19でマキネンはSSベストをマーク、エリクソンに11秒も速いタイムで走り、逆転してしまった。そしてSS22もマキネンのSSベストと、2人の差は大きくなるばかり。

 このままゴールしてしまうのか、と心配する最終SS。そのフィニッシュ手前、なんとマキネンはストップ! エリクソンとのタイムを見ながら、1分のロスタイム。これで、エリクソン、マキネンの順になったのである。一時は、マキネンの大反乱かと思われたが、三菱は無事に1-2フィニッシュとランサーエボリューションの初勝利を飾ったのである。



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鳴海邦彦 / KUNIHIKO NARUMI OFFICIAL
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