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1978年8月31日の衝撃音
いま、WOWOWで、「サザンオールスターズ・桑田佳祐スペシャルDAY」と題しての、12時間の無料放送を見ている。
もはや国民的バンドと言われるサザンオールスターズだが、私が初めて出会った、サザンオールスターズはまるで、宇宙船から見知らぬ宇宙人が舞い降りたかのような異次元なものだった。
衝撃の出会い
1978年の8月最後の木曜日の「ザ・ベストテン」である。
(当時、5歳になったばかりだが、いまだにしっかり覚えている)
久米宏の軽快な司会進行で、『今週のスポットライト』のコーナーは、新宿からの中継に切り替わる。
新宿ロフト(ライブハウス)には、若者たちが「ぎゅうぎゅう」詰めになっており、店の中央の潜水艦のオブジェの舞台に、ジョギングパンツに上半身裸の野郎共と、目がくりくりしたボーイッシュな女性がいた。
異様な光景に、異次元な世界を垣間見てしまったような衝撃と、なんとも言えない新しさを感じた。
『では、歌っていただきましょう! 勝手にシンドバッド!』とのコールで、あのメロディーが…
♪ラー・ラー・ラー~ ラ・ラ・ラ~ ラー・ラー・ラー~♪
何を言ってるのかさっぱりわからない歌詞?歌い方?
そのすべてが新鮮だった。
歌謡曲の時代の終焉
前年1977年のレコード大賞は、以下のとおりである。
◆大賞 沢田研二「勝手にしやがれ」
◆最優秀歌唱賞 八代亜紀「愛の終着駅」
◆最優秀新人賞 清水健太郎「失恋レストラン」
◆歌唱賞 山口百恵「コスモス」、岩崎宏美「思秋期」、石川さゆり「津軽海峡冬景色」
ザ・歌謡曲の顔ぶれである。
もうすでにニューウェーブが起こっていて、ユーミンや山下達郎などの新しいサウンドが、若者たちの間に広まってきたころだったが、彼らはテレビの歌番組での露出をあえてしないのが売りだった。
ところが、サザンオールスターズは、自分たちの歌も「歌謡曲」であると思い、別に歌番組に出ることにあまり抵抗がなかったようだ。
だからこそ、田舎に住んでいた幼児ですら、知ることができたわけである。
だが、実際には、彼らが売れたことで、歌謡曲の時代は終焉に向かうのである。
ちなみに、デビュー曲の「勝手にシンドバッド」は、上記の通り流行っていた沢田研二の「勝手にしやがれ」と、大人から子供まで知るピンクレディーの「渚のシンドバッド」の曲名を足して二で割ったものであった。
しかも、その由来は、志村けんさんからパクったといわれる。
あのお化け番組『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱団」コーナーで、1977年頃の志村けんがやったギャグの『勝手にシンドバッド』(上記2曲を無理やり1曲にして両方の振り付けを踊るがだんだん無茶苦茶になっていく)を拝借しているらしいのである。
そんなサザンオールスターズであるが、音楽的に大きな特徴がある。
それはすなわち、洋楽的なメロディに日本語を詩ではなく音で乗せた最初の音楽家であった。下手すりゃ音を大事にするあまり、漢字の発音とあまりにも違う発音をすることもある。
英語だってそう。桑田バンド名義ではあるが、SKIP BEAT! を 「スケベ!」と歌うわけで…
つまり、歌謡曲からJポップへの革命が起きたのがまさに、この1978年であり、その革命を起こしたのがサザンオールスターズである。
J-POPの開拓者であって、本来なら、追われる身であるにもかかわらず、常に新たな要素を取り入れ、変化していくのがまたすごいところ。
クルマで言えば、ポルシェみたいなもので、毎年どんどん変化して、内部的にまったく違う機構になっていることもある。いまや、4ドアのセダンもワゴンも、SUVもある。
でも、常にポルシェらしさは残っているのと同じなのだ。
これが一番難しいところであるが、それができたがゆえに、国民的バンドになりえたのであろう。
日本の歌謡曲をこよなく愛しているがゆえに、ひとり紅白なるコンサートもやったぐらいで、ド演歌からスーダラ節、そしてレディガガまで歌謡曲としてしまう破壊力には度肝を抜かれる次第。
サザンの次の音楽のニューウェーブを作ったのは、あの歌姫だと思うが、それはまた次回!