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価値ある努力(Proces with result is more important than efforts with no aim)
ゴールデンウィーク(GW)も終わりに差し掛かってきて、怠惰な生活に慣れてしまった自分を後悔しております( ノД`)シクシク…
連休明けから、正常な日常生活に戻れるか、かなり不安です・・・💦
今年のGWは、初日から大雨となり、そこから急に肌寒くなりましたが、最終的には、何日か雨があったものの、それほど寒い日は続かず、むしろ暑いくらいな気候になりましたね。
何より、3年ぶりとなる行動自粛要請のないGWが一番うれしいですよね~!
さて
GW中、なんの努力もせず、怠惰な生活を送ってきた私めでありますが、よく「この人は頑張っているからなぁ」とか頑張りだけを評価する風習のある日本に少し違和感を感じておりますので、それをテーマに書かせていただきます。
では、頑張ります!www
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▼努力って何?
みなさんの周りには、「この子はよく頑張っているからね~」と、努力したことだけで評価されている人はいませんでしょうか?
「頑張り=努力」
この構図は、古来から日本に伝わる都市伝説的なお話ですが、確かに高度経済成長期では、このように休む時間を惜しんで働くことで収入がアップした時代はありました。
それは、今の時代では考えられないほど、デジタル機器もなく、オートフォーメーション化されていない時代、人がその労働力で補完してお金を稼いでいた頃のお話です。
今では、時間を惜しまずに労力を提供しても、機械に勝てるはずもなく、無駄な努力をしても何もならない時代です。
そもそも「努力」ってなんでしょうか?
努力(どりょく)とは、目標を掲げ、そこに到達するために邁進する
「目標を掲げ」るため、その目標に向かって、体や頭を使い、行動することが努力というわけです。
学校では、「目標を掲げ」ていなくても、頑張ることを評価する傾向にありますが、幼少期から大人るなるまでの貴重な期間に、こんなことを教え込まれているうちに、それが正しいと思い込み、そういう環境で育ってしまうと、大人になって社会に出て頑張ることだけで評価されると思い込んでしまうのは仕方ないとは思ってしまいます。
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なんのために頑張る(=努力する)のかを、小さい頃から教え込む教育が必要だと思います。
▼努力は必ず報われる?
「努力は必ず報われる」という諺を一度は耳にしたことがあるかと思います。
ただ、何も目標も掲げずにする努力は、自己満足に終わるだけで、結果も出ずに何も生まれない、生産性のないお話です。
何のために努力するのか、何に向かって努力するのかをまず理解した上で、その目標となるゴールを定め、そのゴールに向かって歩むべき過程(Process)を考えていくことが大事なのです。
学校生活を営んでいる間は、教師も学習指導要領なるマニュアルで子どもたちを、そのマニュアル通りに教えておけばいいのであって、生徒たちの考える力も生産性を高めることがそれほど求められない環境にあるため、「結果より努力」を評価する傾向にあります。
しかし
社会に出ると、たとえ無駄な努力であっても、人が動く、モノをつくるという行為だけでもお金はかかってきます。
そのお金が積もり積もってくると、人件費などの固定経費がたくさん必要となり、ひどい場合は経営にも影響を及ぼすことになってくるわけです。
ですので、無駄な努力で、その努力から何も学びがないとなると、社会では報われないのです。
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▼努力より過程が大事
ひとつ誤解のないように言いますが、「努力する」を否定しているのではなく、目標も持たずに闇雲に頑張ることがダメだと言っているのでして、「結果がでないからダメ」とか「失敗をするな」とかを言っているのではありませんので、ご注意ください。
失敗は逆に肯定的な考えでありまして、同じ失敗を繰り返すのは全否定しますがw、失敗から次の教訓を生み出すものであれば、大いにしたほうがいいと思いますし、失敗から絆が深まることもありますので、失敗すること自体がダメなわけではないのです。
要は、過程が大事であり、たとえ失敗しても、その過程の検証から、次の機会につなげていくことで、次は今回よりいい結果につながるのです。
この考え方は、みなさんが使われているパソコンやスマホなどでも採用されており、オペレーティングシステム(OS)の、いわゆるベータ版と呼ばれるものなど、正規版を発表する前の試作品を敢えてユーザーに使ってもらい、その性能評価からバグを修正していき、さらにブラッシュアップしていく方法がとられています。
このように、OSでもこんな感じで過程から正規版にしていくのですから、人も同じように、何かやるときの過程から修正を加えていい、目標に到達できるような結果につなげていくことが大事なのかなと思ったりもします。
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▼努力を努力と思わないこと
今回のnoteで言いたいのは、努力したことだけを評価するのではなく、その過程を認め(評価と言う言葉は上から目線になるのであまり使いたくないのですが・・・)、その過程からどのような結果につながったのかが大事なのだということです。
また、過程を踏んでいくうちに、失敗に気づき、それを最小限に食い止める努力をしたのであれば、それは大いに成果があったと認めるべきだと思います。
もちろん、努力した側もこれだけ努力したのだからと思い込み、なんらかの見返りを求めてくると、やはりダメだと思います。
努力することは自分の成長につながるわけで、人の評価をアテにして努力すること自体、自分事ではなくなるのです。
自分の人生ですので、自分の思い描く未来に向かって努力していくべきだと思いますし、自分の人生を他の人と比べるのは、それもまた違う話だと思いますので。
努力していると自覚するより、努力している過程を楽しんでいくことが、結果にもつながりやすく、他の人からの見返りも求めることなく、自分サイズで成長できていけるのではないでしょうかね?
みなさんもご存知の有名タレントの明石家さんまさんが、次のようなことを仰っています。
『努力は報われると思う人はダメですね。努力を努力だと思ってる人は大体間違い』
そうです。努力は人のためにするものではなく、自分のためにするものであって、「自分の方が努力してるのに、なんであいつが評価されるのか」とか、「あれだけ努力してきたのに、どうして誰も評価してくれないんだ!」とかいう感情が生まれてきた時点で、努力してきたことが全て水の泡になるのです。
そうです。
見返りを求めた時点で努力は努力ではなくなり自分の成長を止めるのです。
▼蟻の思いも天に届く
故事成語に「蟻の思いも天に届く」という諺があります。
地面をはって歩いている小さな蟻のような虫でも、努力すれば願いが叶うという諺のように、自分が成し遂げたいことを一生懸命、正しい方向で努力すれば、結果の大小はあったとしても必ず成就するのです。
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天まで届けられるように、目標をもって、それに向かって努力をすることが大事です。
なんの目的もなく、ただただがむしゃらに努力しても、単なる無駄な労力を費やすだけです。
人間に与えられた唯一の平等である「時間」を有効活用しましょうね。
最近、説教じみた内容が多いですね・・・
気を付けるよう、努力しま~すwww
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