SHOGUN成功の舞台裏に再認識させられた3つのこと
これを書いている時点で、クリエイティブ/アーツエミー賞14部門受賞のSHOGUN。このあとのエミー賞では主演男優、主演女優、助演、監督、作品など各賞の発表が予定されていて爆裂楽しみ。USはもちろん各国ではGoTと同等、いやそれを超えてんじゃんと思えるくらい「オカネ! カセグ! ワタシハスター!」の拡散レベルをも凌駕するグローバルムーブメント。
SHOGUN以前にハリウッドで制作された日本をテーマにした映画やドラマはといえば(例えば2003年に公開された「ラストサムライ」)、セリフは英語だわ、表現は「フジヤマ・ゲイシャ・ハラキリ」というような彼らが漠然と持つ日本のイメージをまんま形にしたようなモノだわで、義務教育で歴史を学んだり史跡に触れたりしてきていることでハリウッドの彼らよりはおそらく当時の日本に関する知識を少しは深めに持っているであろうボクら日本人からすると片腹痛いものだったと言わざるを得ない(まあボクらはもちろん、膨大な資料を読む込む歴史学者だって仮説立ててそれを証明し史実に加えたり書き換えることはできても、実際にその時代を過ごしていない以上当然史実が間違っている可能性はあって、それをベースとしたボクら日本人が持つイメージだって当時の日本人からしたらおかしなものなんだろうけど)。
SHOGUNはどうやらラストサムライの類とは違って、日本人が持つ過去の日本に対する理解やイメージから逸れていないようだ。一方、切り取るシーンや表現手法には色濃くハリウッドスタイルが残されていて、それとのハイブリッドが生み出すユニークさがこの作品の魅力を高めているように感じてる。
何がその魅力を生み出したんだろう?とプロデューサーの真田広之氏(以下敬称略)のインタビューをいくつか漁ってみた。すごくザックリと要約するとその理由は以下の通り。
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・これまでもハリウッドで制作する日本を題材にした作品に参加する際は、できる限り日本を日本として描けるように(例えば、サムライなのに英語を話すようなことがないように)働きかけてきたが、イチ演者としては限界があり、「それは無い」というような表現でも無理矢理自分を納得させるしかなく何度も悔しい思いをした。
・どうしても作品の方向性や表現の在り方に納得できない場合はジョインすることをあきらめたり、離脱することもあった。
・今回のSHOGUNではプロデューサーという立場でジョインできたので、主導権を持ってとにかくオーセンティック(正真正銘の本物)にこだわることが許され、そのこだわりを貫くことができた。
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SHOGUNのエピソード1では、
「人には三つの心がある。世間に見せる心、友だけに見せる心、そして三つ目は、他人に見せない秘密の心。生き残りたければ、三つ目の心を誰にも見せてはいけない」
というセリフがあるが、真田自身、いつかはこのハリウッドでオーセンティックな作品を作ってやるという三つ目のこころをひた隠しにしながら随分と長い間、本当にやりたいことを表に出すことなく、それやるための準備をしつつ虎視眈々とその機会を待ち続けながらひたむきにハリウッドで活動してきたんだろうなあ。少しづつ本当に少しづつその本心を出していくことで周りを巻き込み共感させ、やりたいことを実現する環境を築くことができたんだなあ、と彼の夢に想いを馳せる(やり遂げてみせるという彼の執念の強さや深さは想像を絶するはずで、それをボクがココでどうこう表現できるわけもなく、想いを馳せることすらおこがましいのだけれど。)
そのことがボクをこの作品により深く引きずり込み、昨晩から家族で3週目?4週目?のbinge watching party。
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まあ作品は作品で頭ん中を空っぽにして楽しむとして、上記真田のインタビューの内容からボクらビジネス界隈(もちろん映画だってビジネスなわけだけどそういう線引きじゃなくて)において生き抜くために必要な以下3つの大き目の判断があるよね、ってことをリマインドさせられた。
1.その会社にジョインするかしないかの判断
2.その会社のカルチャーやビジョンに共感できない場合、離脱するのか?または万事吞み込みそこで働き続けるのか?の判断
3.自分自身の想いを誰にも邪魔されず完全表現・実現するために独立するかの判断
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1の場合、
求職者視点からは、果たしてその求職者はジョインしようとしているその会社のカルチャーやビジョンに共感できるのか?を真剣に考えた方が良さそう。その会社が達成しようとしていること、到達しようとしているビジョン、それに貢献したいと本気で思えるか。会社をヒトに置き換えて考えてみると、どうも気が合わない、意見が合わない、振る舞いや言動が耐えられない、こういうヒトと長い間付き合えますか?会社も同じ。給与面の待遇や福利厚生メニューはもちろん大切だけど、その会社に身を置いたことを想像し共感できそうかをまず判断することが肝要。その上で共感できるならジョイン、できないならジョインしない。
他方、採用側視点からは、求職者に対してカルチャーやビジョンを端折らず丁寧に説明する必要があるし、それが説明できない状態(そういう大義名分がないまま事業を継続している会社も少なくないでしょう)であるなら説明できるようにすること、そしてそのカルチャーやビジョンに共感してもらえないなら採用しないくらいの基準を持っていて然るべき。ジョインしたあとに不整合が起きて求職者側・採用側双方が不幸になってしまっては本末転倒。その可能性を最小化する努力は怠るべきじゃない(自戒を込めて)。
2については、
・(上記1の思慮ステップを端折ってしまい)会社のカルチャーやビジョンに共感できないままジョインしてしまった
・ジョイン後に(経営者が交代したり、経営者の考えに変化が生じ)会社のカルチャーやビジョンが変わってしまった
・或いは自分の考えが変わりその会社のカルチャーやビジョンに共感できなくなってしまった
この三つのケースが考えられる。そしてこれが起きてしまった場合、
A.共感できないから離脱する
B.共感できないが(給与面や福利厚生は良いし、家族を養うためにも)自分の想いには蓋をして会社に居続ける
のいずれかの判断を迫られる。
その判断で、Aを選択した場合は1に戻るか3に進むかの次の判断をする必要がある。
Bを選択した場合、自分の考えと会社のそれとのギャップは時間を追うごとに大きくなるはず。その場合でも「居続けること」を選択したわけなのだからヘイタ―として会社に対してネガティヴな振る舞いをすることは決して許されない。だって自分の判断なんだから。しかし、その想いがよほど強いなら、そのネガティヴなヘイトパワーをポジティブに変換し、新しい会社のカルチャーやビジョンを自分発信で変えていく・作っていく、という方向に使うのは悪くない。
3の場合、
誰かの実現したいことを手伝うのではなく、自分のやりたいことだけをやれるように自分がカルチャーやビジョンを作る側に回るパタン。そりゃあ好きなようにやれるでしょ、と思いきや留意すべきことはたくさんありそう。個人事業主としてスタートするにせよ、すべての準備やその後の運営を自分自身のチカラだけでカバーするのは到底無理。外部の誰かに支援を求める必要が当然あるし、その支援を得るために自分のやりたいことに共感してもらう必要がある。ましてや会社のトップとして誰かを雇用するような場合ならなおさら。自分の実現したいことやそこに到達するための方法に共感してくれるひとを探すのは本当に難しいし、共感し続けてもらうのはもっと難しい。つまり雇用する側の立場から上記1と2におけるミスコミュニケーションを排除する努力をし続ける必要がある。この点は以前のポスト「ビジョンチャンネル」で述べたように、何に共感して欲しいかの強い想いを発信し続けなければならないということと同義。
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アナタは1・2・3のどこにいますか?
とかほざいてるウチに、主演男優・主演女優・監督・作品の主要賞受賞のアナウンス!スゴっ!特にAnnaは嬉しいわー。(助演は惜しかった。しかし按針役のシャーヴィスはノミネートすらされてないってのもほんと残念。)