ギモンコンバーター

もちろん最初に頭に浮かんだ疑問のクオリティが高いなら変換する必要は全くないわけだけど。

そうでないケースがほとんどじゃないのかなあと思うので、浮かんだ疑問は少なくとも何回かは変換してみて、どれが適当かを頭の中で評価する意識は持ったほうがよさそうだよねと思ってます。

疑問と質問の違い。

疑問は自分の頭の中で「ん?」と思うこと、質問はそれを尋ねること。
何かわからないことがあって頭の中にある段階では疑問、それを他人に聞いたりググったりする時点で質問に切り替わる。

なので、疑問の段階だったら何度その疑問を変換してもまったく問題ない。
変換しまくってようやく出てきた質の高い疑問を尋ねることは、質の高い質問をできるってことで、質の高い質問は質の高い答えに出会う可能性がより高いはずでしょ。

そういうことなら質問する前にガシガシ疑問を変換してみる意識を持つことは悪くない。疑問が愚問になっちゃって、そのせいで質の低い答えに出会っちゃって、その答えをもとに行動してしまったことでアンハッピーな結果に遭遇することができるだけ無いように。

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先日あるスーパーの鮮魚コーナーのガラスの奥で魚を捌き続けている職人さん?をぼんやりと凝視してしまいました。

「一日に何匹くらい捌くんだろう。。つか何時間捌き続けてんのかな。包丁ずーっと持ち続けてるとめっちゃ重いだろうなあ。。」

で、最初に浮かんだ疑問がコレ。

「包丁が軽くなれば作業が少しは楽になりそうだよな。包丁って軽くできんのかな?」

もし、ボクがどこかの会社の商品開発部門に所属してたとしたら、この疑問を変換することなく抱えたまま即座にどこかの包丁メーカーに連絡して「メチャクチャ軽い包丁作ってくださいよお!」とかお願いするわけもなく当然、

「ん?でも軽い包丁の切れ味ってどうなの?なんかペラッペラのフニャッフニャになっちゃって全然切れなくて職人さんのストレスになっちゃわないのかな?もしそうだとするなら軽い包丁ってことじゃなくて、あれだな。長時間使っても疲れない包丁って作れないのかな?」

ってな具合に疑問変換。

そうだよな。包丁を軽くできんのかな?って疑問は「軽くすれば職人さんの作業が楽になる」って根拠なく決めつけちゃってるのとイコールで、疑問としては質が低い。重くても切りやすいとか、重くても前後のバランスとれてて重さを感じない、って方向性もありそうだし。

なら「長時間使っても疲れない包丁って作れないのかな?」のほうが疑問としては質が高そう。この疑問を質問としてMisonoあたりに渾身のチカラを込めて投げつけてみたい。

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歯のクリーニング中、隣の部屋から子供の鳴き声。虫歯の治療で歯を削る必要があるっぽく、タービンのキュヴ~~~ンって音がもうとにかくイヤみたい。

で、疑問が浮かぶ。

「しっかしなーんであんな気に障る音なんだろーね。ったく。子供が怖がらない音に変えらんないの?」

子供が怖がらない音ね。キュヴ~~~ンって音は、ミレニアムファルコンの航行音やそのAG-2G四連レーザー砲を敵艦に向かって発射するときの音に似てなくもない。だったら、タービンの動きにStarWarsの映像を連動させる仕組みを開発して、その映像を子供に見せながら治療するってのはどうなのよ?

でもなあ。音よりはそもそもタービンで歯を削ると痛いのか。。
そうか、痛くなければ怖くないのか。

という流れで疑問は変換される。

「痛くない虫歯の治療ってないの?」

なんかさ、なんとか光線照射すれば虫歯治っちゃうとかさ。って、いやビックリ。調べてみたらほんとにライトウォーカーって無痛レーザー治療があるんだね(チッ、この文脈ならスカイウォーカーだろうによっ)。

こうやって疑問を変換していくと期待もしなかった解決策がスススーッと顔を出すなんてこともある。

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とある企業のとあるリーダーさん。その彼がリーダーを務めるチームのメンバー、くっきりとはっきりと誰にでもわかるような成長が見られない。もしかしたらこの2、3年同じ状態なのかもしれない。そこでそのリーダーに浮かんだ疑問。

「チームメンバーの成長を促すために有効な研修プログラムはないか?」

このリーダーがこの疑問を変換せずに質問として声に出してしまったら、動き出してしまったら、研修プログラムを探し出すような方向にアクションを起こすことになる。

それでいいんだっけ?

このリーダーは、チームメンバーが成長しないこと=スキルや知識・経験が不足している、だから研修が必要、と決めつけていて、根本原因を突き詰める努力をスキップしてしまってるように思える。

ここで重要なのは研修プログラムというような解決手段に帰結する前に、何をどうしたいか?が整理されること。
なぜチームメンバーは成長しなければならないのか?なんのための成長なのか?その成長が実現したら何がどう変わるのか?

もし疑問を、

「チームメンバーを成長させるにはどうしたらよいか?」

と変換することができるなら、

・なぜチームメンバーは自分の期待に沿った成長ができてないんだろう?十分に成長の機会を与えてきているはずなのに。。
・少しストレッチした目標達成のチャレンジをアサインしたこと、そのためにこういう勉強をしてみたらどうかと提案してきたこと、何か不明なこと不安なことがあれば教えて欲しい、支援するからとサポートしてきたこと、十分な成長機会と言えるでしょう?
・もしかしたらメンバーそれぞれに与えている役割・責任とスキルセットがマッチしてなくてモチベーションがあがらない?
・いや、すべてのメンバーに対して画一的なマネジメントをしてしまっていて、ひとりひとりの特性に応じた対応ができてないのかもしれない。ひとつのマネジメントスタイルをメンバー全員に同じように適用してしまうと、それに適合するメンバーもいるだろうが、そうでないメンバーも出てくるはず。
・そもそもメンバー全員に成長を求める必要は本当にあるのか?
・求める成長が現実となったなら何がどう変わるのか? 裏返すと、何をどう変えたいから誰にどういう成長を求めるのか?への答えを自分はいま持っているのか?
・その答えを持っていないなら、何のためなのかを示さないまま解像度の低い成長を求めているだけなのかもしれない。
・そうであるなら、まず変化を求めるべきは自分自身なのかもしれない。

この妄想プロセスを経て再度疑問は変換される。

「いつまで経ってもチームメンバーを成長させることができないリーダー。自分にはどういう成長が必要だろうか?」

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上の例で変換された疑問たち、変換の度に必ずその質が高まるとは限らない。もしかしたら質が下がるのかもしれない。
そうであったとしても、ポッと脳ミソに浮かんだ最初の疑問で即座に筋肉に指令を出して動き出してしまうことは、疑問から導き出される解決策の質が高くなる可能性を潰してしまうのかもしれない。

疑問を変換して変換して変換して、結果最初の疑問に戻ってしまってもいーじゃない。それはおそらく最初の疑問の質が高かったってことを証明してくれるプロセス。疑問を変換して変換して変換して、これを意識して続けることは疑問変換力を高めることにつながり、それはつまり解決力をも高めることになるはずなわけだから。

変換のプロセスなんで時間にすればおそらくトータルで数十分~数時間くらいのもんでしょ。これくらいのことで質の高い疑問を獲得できるならいっそ、「ギモンコンバーターにオレはなる!」と自分の中で高らかに宣言して、脳ミソのギアをアップしてグルグル変換しまくる癖をつけるにはどうしたらいいの?って疑問からスタートしてみるのがいいのかも。

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