合意形成のややこしさ
ビジネス界隈において何かについて結論を出そうとする場合のスタイルとしてこの現代に存在していそうなものは概ね以下1~5くらい?(「占い」のに頼ってるところもあんのかな?)
1. 独裁(周りの声は無関係、あるひとりの考えだけに基づいて結論を出す)
2. 独断(周りの考えを聞いた上であるひとりが結論を出す)
3. 合意形成(関わった人たちで議論し全員が納得できる結論を出す)
4. 多数決(関わった人たちの中で最も多い考えを結論とする)
5. 信任(第三者に委ねる)
これらのスタイルのうち、最も取扱いが難しいのは3であることは白黒分明、だって5つのうち3だけが当事者たちによる「議論」を要するから。
本来議論てのは、本質的な課題や論点について自分の考えを述べたり他人の考えを批評したりして「論じ合うこと」を通じて、お互いの意見をぶつけ合い擦り合わせながら、課題や問題に対して当事者全員が納得できる解決策を導き出すことを主に目的としたものなわけです。
画でイメージするなら参加者それぞれの考えが議論によって徐々に近くに寄ってきて寄ってきて、そして重なり始めて、重なった領域が少しずつ少しずつ大きくなって、その重なった部分を「当事者全員が納得できる結論」として取り扱う、といったいう具合に。
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そして、その「3. 合意形成」の場に参加する議論の当事者の振る舞いというかスタンスとしては、少なくとも以下A〜Fの6つがあるよねと思ってる。
A. 絶対に自分の考えを曲げずに押し通す(「これしかないっしょ。他に何かある?」)
B. 自分以外の誰かの考えの中に自分の考えに近いものがあってそれに合流する(「〇〇さんの考えをベースに進めましょう」)
C. 自分以外の誰かの考えが自分の考えとは異なるが共感できるのでそれに乗り換える(「〇〇さんの考えでもいいです」)
D. Aの主張が強すぎてどうにもこうにも結論が出そうにないので仕方なくAの考えに同意したことにしておく(「いいですよ、Aさんの考えで」)
E. 自分にはその課題やトピックについて結論を出すだけの知識や経験がないのでなんとなくよさそうな誰かの考えに従う(「〇〇さんの考えがいいと思います」)
F. その課題やトピックについて考える気もなく、どうでもいいので他の人に委ねる(「みなさんにおまかせしますよ」)
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上述した「3. 合意形成」とその場における「スタンス」を踏まえて、合意形成を試みる際に留意しておいたほうがよさそうな点について以下に記してみます。
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議論にAが参加している場合:
・もはやその場は合意形成スタイルを維持することは困難で独断と同じ。たまたま他の参加者がE・Fだけなら独断でも問題は無いが、BやCにもなれないなら、それはもう複数のAがいるってことなのでその場はもうカオス。この場合は即座に議論スタイルを多数決に切り替えることを提案するか、ファシリテーターの参画を要請するなどの対応が必要かもしれないよなあ。
・Aがひとりで、それ以外がBかCならスムースに結論は出るでしょう。そこにDが発生してしまうとちょっとややこしい。DはAに同意したふりをしているわけなのでDには何らかの禍根が残るのは間違いない。最悪の場合、議論の場のあとにネガティブスピーカーとして振舞ってしまい、さらには結論をベースにした活動のサボタージュに転じてしまう可能性は高い。Aや会議の主催者が、会議の場にDがいたことを感じ取れたなら、会議後Dにコンタクトして何らかのケアをする必要がある。そのケアをトライしてもDのままで変化しないなら、Dには活動から外れてもらうくらいの決断も求められる。
・Dではないにせよ、BでもCでも100%寸分ズレなくAの考えに同意して合意に至るというケースはゼロでしょう。BにせよCにせよ、同意できない部分は小さいにせよ絶対にあるはずで、それに蓋をして合意してくれている、ということをAは深く理解しておくべき。その理解がないまま先に進んでしまうと適切なケアができずにBやCがDに転じてしまい、活動に想定外の障害が生じてしまうことは十分にあり得る。
Aが議論の場にいる/いないに関わらず:
・そもそもEとFのスタンスのひとたちはその場に参加すべきではない。議論に貢献できない或いはするつもりがないこの類が議論の場に混じってしまうのはその会議の主催者に責任がある。そうならないように、課題やトピックについて議論をするために必要なひとたちは誰なのかを事前に熟慮した上で参加要請をすべき。
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というわけで、合意形成は他のスタイルに比べてややこしい。このことは国家レベルでも証明されてる。社会主義だろうが民主主義だろうが社会民主主義だろうが合意形成スタイルを採用している国はないでしょう。日本においても各党が違う考えをもっていて(それぞれがA)、合意形成スタイルで何かに結論出そうとしても土台無理。
とはいえ、他のスタイル(独裁・独断・多数決・信任)と比較して、より手間も時間もかかるわけだけど、それでもそのプロセスを通して出される結論は、他のスタイルから出されるものよりは納得感が高くなりそうな気がしてボクは好きですね。もちろん合意形成に縛られることなく、課題やトピックに適したスタイルを採用すべきってことはわかってるけど。
合意形成スタイルを採用するならその大前提条件は、関係者全員のコミュニケーションが良好である、ってことじゃないですかね。それだけでAが(複数)でいたとしても「他者に配慮できるA」でありそうで、そのことは対立的でなく友好的なプロセスでの議論を進めることができそうだし、それならDが生まれる可能性を限りなく低くしてくれそうだから。
「コミュニケーションが良好」、すなわち合意形成のプロセスに関わるひとたち間の普段のコミュニケーションを、言いたいことを言い合えてでもそのことで不信感や不安感を生んでしまうようなことがないようなものであるように醸成しておくこと、これがイチバン大事だよねってことなんだと思います。まーそれはそんなにカンタンなことじゃないんだけどね。