自分プロデュース

ブランディングとブランド及びマーケティングの関係や在り方についてのボクの解釈はこんなカンジ。

ブランディングの目的:
1.企業が持つ「こう思われたい(ブランドアイデンティティ)」と、その企業に対する顧客の「こう思ってる(ブランドイメージ)」を一致させる
2.その一致によって顧客からの信頼・信用を獲得すること

マーケティングの目的:
3.どんな商品・サービス(Product:以下プロダクト)を、どこでだれに向けて(Place)、いくらで(Price)提供するかを意思決定し行動する
4.そのプロダクトが存在することをどうやって認知してもらうか(Promotion)を意思決定し行動する
5.その結果として、そのプロダクトを購入してもらうこと

ブランド:
6.企業の「こう思われたい」をベースにした振舞いの結果、市場がその企業に対して持つ「こう思ってる」イメージのこと(企業ブランド)
7.マーケティングの結果から生み出されたプロダクト開発コンセプト(こう思われたい)に基づき開発されたプロダクトを市場投入、そのプロダクトに対して市場が抱いた「こう思ってる」イメージのこと(プロダクトブランド)
8.企業ブランドが先行、それに適合したプロダクトを市場投入し、プロダクトブランドを形成していくという順番もあるし、
9.プロダクトを市場に投入し続けた結果として出来上がる複数のプロダクトブランドの群れが企業ブランドを形成する、という順番もある

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「企業ブランド?プロダクトブランド?んなもんどうでもええわ!」というならそれはそれでひとつの戦略、マーケティングにだけ注力していればいい。それでもビジネスは続く。

ただこの「どうでもいい」場合でも意図せず「ブランド」は形成されてしまう。なぜならプロダクト開発➔プロモーション➔販売、そのプロダクトから得られる購買体験や利用体験が顧客の心に刻まれ、それがプロダクトブランドとなり、その積み重ねが企業ブランドになるから。

つまり「こう思われたい」がなくても、「こう思ってる」は勝手に顧客の中に形成される。

そしてその「こう思ってる」は、意図せず良質なブランドとなりその企業により大きな価値をもたらすかもしれないし、そうでないブランドになってしまいその企業に損失を与えてしまうかもしれない。「こう思われたい」を放棄することは「こう思ってる」のコントロールも放棄しているわけなので、どっちに転ぶかはわからない。

もっと極端に表現するなら、「企業ブランド?プロダクトブランド?んなもん知らん!」は「どう思われようがどうでもいい」と同義ってことなわけで、望む望まないに関わらず出来上がってくるブランドがどういうものになるかはまったくわからないというギャンブル。

まあブランディングが無くても事業運営は成立することを考えると、マーケティングはMUST機能だがブランディングはWISH機能であるとも言えるわけで、WISHなんかに手を付けることに対して躊躇してしまうのも十分理解できるけど、ギャンブルになってしまうくらいならさっさとブランディングに取り掛かって少しでも良質ブランドに傾く可能性を高めるほうがよくないかなあと思いますけどね。一度不名誉なブランド(烙印)を押されてしまうとそれを挽回するのはとーっても困難だから。

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例えば、パタゴニアが環境に配慮した素材を使った高品質(丈夫で長持ち)な製品を開発・販売し続けている「だけ」だったらどうだろう?

2018年にリニューアルされた彼らの企業理念は「地球を救うためにビジネスを営む」。

これすなわち、彼らのすべての事業活動は地球を救うために繋がっていなければならない、ということ。「こう在りたい=こう思われたい」というビジネスアイデンティティ。

「環境に配慮した素材を使った高品質(丈夫で長持ち)な製品を開発・販売」は地球を救うことに繋がっているようにも思えるが、その高品質な製品を無制限に大量生産してしまうことは制御しておらず、これだけでは地球を救うことに繋がる行動とは言えない。そして仮にこの行動が継続されたとすれば、パタゴニアに対する市場が持つイメージはファストファッション企業に対するそれと大差ないものになってしまうのかもしれない。

しかし、「彼らの理念=こう在りたい=こう思われたい」は「地球を救うためにビジネスを営む」なわけなので、地球を救うことには決して繋がらない無尽蔵な大量生産の選択肢は彼らにはない。

彼らのすべての活動は地球を救うことに繋がっている。その意識は社内で醸成・共感され、それをベースとした活動は社外に浸み出し、それに触れた顧客や取引先はそれを感じ取る。その結果が「こう思われたい=こう思ってる」となり、ブランディングとしては理想的な状態を維持し続けているし、それにより安定的な利益を出し続けられているから剰余利益も確保され、それが実際に地球を救う活動に投資されるような仕組みも構築してる。こういう振る舞いを続けているから、市場からは絶大な信用と信頼を得ているし、それを損なうようなシーンをこれまで見聞きしたことがない。

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個人レベルで考えてみるとどうだろう?

自分ブランド(自分をどういう人だと思われたいか)や仕事ブランド(自分の仕事をどう思われたいか)のアイデンティティのコントロールを放棄した状態でも、当然上述の例と同様にアウトプットに対する評価はされるし、それがアナタに対するブランドとなる。それはアナタにとって望ましいものになるかもしれないし、そうならないかもしれない。だってコントロールを放棄してるから。

自分ブランドや仕事ブランドのコントロールを放棄するよりも、「こう思われたい」をしっかり持って、それに沿った行動・振る舞いをし続けることのほうが信用や信頼を得やすいだろうことはパタゴニアの例が証明してる。そして信用や信頼を得ているのだから、自分がやりたい仕事をやれるケースが増えるのかもしれない。

自分ブランド
自分ブランドを築くために、持って生まれた性格を欺いてまで演出する必要はないとも思うけど、例えば以下のような要素を持っている方が仕事を進めやすいと考えるなら、そう思われるために努力したり振舞うことで周りからはそう評価されるようになり、それが自分のブランドになり信用や信頼を得て、事実仕事を進めやすくなり、より高いクオリティの成果を出しやすい環境を作れる可能性はより高まる(何度も言うが、偽りのブランドにならないように自分の性分に沿った要素を選択することが肝要)。

・話しやすいと思われたい(コミュニケーション能力が高いと思われたい)
・相談しやすいと思われたい(共感力が高いと思われたい)
・いつもポジティブだと思われたい(積極性が高いと思われたい)
・的確なアドバイスをくれると思われたい(フィードバック力が高いと思われたい)
・協力的だと思われたい(チームワーク力、協調性が高いと思われたい)

仕事ブランド
仕事ブランドも同様、以下のような要素において、高い品質のアウトプットを意識的に出し続けることで、実際に「こう思われたい」と「こう思ってる」がイコールになり、仕事ブランドはどんどん良質になっていくし、さらに進めて、要素の組み合わせをキャリアプランと連動させることができるなら、そのゴール(将来の理想像)に近づくことさえも早めてくれそう。

・Figmaのエキスパートだと思われたい
・UXデザインならこの人だと思われたい
・事業戦略策定に長けていると思われたい
・物流関連の知識が深いと思われたい
・人事労務系ならこの人におまかせと思われたい

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こんな風に「こう思われたい」(自分ブランドと仕事ブランド)をどう実現していくか、は自分をプロデュースするということ。
これは自分が自分のプロデューサーとなって自分の理想像に近づく取り組み。似たようなことはもちろん皆やってるとは思うんだけど「自分をプロデュースする」と表現を変えてみるだけで、そのやり方や効果が良い方向に変わるような気もしないでもない。よね?


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