的を得ずんば的射れず
「的を射る」は、物事の肝心な点を確実に捉える、とか、要点をつかむ、という意味。
「的を得る」を同様の意味を持つ言葉だと解釈しているひとが少なくないようだけど、これは「的を射る」の誤用(かくいうボクもそういう使い方をしてこなかったわけじゃない)。
でも、「的を射る」が狙った何かを「確実に捉える」という意味なら、「得る」を誤用として切り捨てず、「的自体を獲得する」という意味を持たせてもいいんじゃないかなーと思ってる。
つまり、既に的が在りその的を確実に捉えた、道を逸れず狙った物事に向かって期待通りに進んだ、これを「的を射た」状態とするなら、「的を得る」は、狙うべき的そのものを得たという状態。
・的を射た(射ている)=的は以前からある。その的を捉えた(捉えるべく進んでいる)
・的を得た(得ている)=的はこれまでなかった。狙うべき的を獲得した(獲得に向かい進んでいる)
という違い。
裏返すなら、
的を射ない=狙いを外した・外している状態(的外れ)
的を得ない=的自体が未だ無い状態
なぜ「的を得ない」という言葉を単なる誤用として扱うのではなく、上記のような意味を持たせたいかといえば、単純に「的自体が未だ無い状態」を表す言葉が存在しないように思ってるから(類義語なら「お門違い」とか「見当違い」がそれにあたるんだろうけど、”的”を使った同義語にボクはまだ出会ってない)。
そもそも「的を射る」には「的を得る」必要があるわな。
そりゃそうでしょ。狙うべき的がはっきりしてないのに、それを射る(とらえる)ことはできないわけで、的を得ていないのに「射ている・射ていない」を議論するならそれはまったくの虚空。
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これまでの経験において、「それはあまり的を射た活動とは言えないですね」「そのアプローチは的外れでしょ」と指摘を受けたことは少なくないし、最近もあった。
こういうケースでまず考えるのは、その指摘をしたヒトとボクは果たして同じ的を見てるのかなあ?ってこと。
「同じ的」
ビジネスの場合は、中長期の事業戦略や単年度の達成目標がわかりやすい例。
そもそも同じ達成目標(的)を持ててない、共有できていないのに「的を射てない」「的外れ」の指摘は、それ自体がナンセンス。この場合は「的を得てない」わけなので、翻ってまずやるべきことは「そもそも的はなんでしたっけ?」を議論すること。
一方、その期に達成目標すべき目標・期待値に対してまったく同じ理解ができている、ということならそれは「的を得ている」(的がある)状態。その状態であるのに、活動内容がその的に向かっていない(目標を達成するために貢献するような活動にはなっていない)ということなら、それは「的を射てない」(的外れ)と指摘されて至極当然。
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Aさんは、Xが的だと思ってる。
Bさんは、Yが的だと思ってる。
AさんがBさんのYに向かおうとする取り組みに対して「それは的を射てない」と指摘した。
これは、「射てない」じゃなく「的を得てない」ケース。だって見てる的が違うから。ここではまず、ふたり共通の的はなんなのかを確認すべき。
Cさんは、Zが的だと思ってる。
Dさんも、Zが的だと思ってる。
DさんがCさんの取り組みに対して「それはZに向かってない」と指摘した。
こっちは「的を射てない」ケース。見てる的は同じだけど、その取り組みが本当に的に向かってないから。どう軌道修正するかの努力をすべきパターン。
もう少し具体的な例。
ある事業の利益拡大に責任を持つEさん、その事業の顧客満足に責任を持つFさん。
Eさんの今年度の達成目標(的)は、前年比XX%の利益拡大
Fさんの今年度の達成目標(的)は、前年比XX%の顧客満足度向上
EさんがFさんの活動内容に対して「顧客体験のみを優先し、利益拡大(Eさんの的)を無視するようなアナタの活動は的を射てない(的を外している)」と指摘した。
一方、FさんはEさんの活動内容に対して「利益獲得のみを優先し、顧客体験(Fさんの的)を無視するようなアナタの活動は的を射てない(的を外している)」と指摘した。
Eさんは前年比XX%の利益拡大という的を見ていて、Fさんは、前年比XX%の顧客満足度向上という的を見ている。
これは「的を射てない」じゃなくて「的を得てない」シーン。
的を射るための的を得るため、まずはEさんとFさんプラスすべての利害関係者を巻き込み、その関係者全員共通の的の設定をすべき。
もちろん、担当している責任領域が違えば設定する的ももちろん異なる。そうであったとしても、すべての的を並べたときに重なる部分は絶対にあるし、その重なる部分が大きく広くなるように議論・整理をし、関係者全員のハッピーミディアム(ネガティブな妥協じゃなく、全員が合意できる中間点)の模索を継続することが肝要。
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ボクがこうしてブログを書いている狙い=的も、
「ボクがどういう思考で物事を捉えているかを読者のみんなに理解してもらうことで、少しでも無用なコミュニケーションエラーを回避する(ああこういうヒトなのね、と事前にわかってもらえればそれを前提とした、いろんな意味での無駄を極力排除できるコミュニケーションになるはず)」
がメイン。もし第三者がこのブログの狙い=的を、
「経験から学んだ考え方やナレッジをみんなにシェアする」
ためのものだと誤解していたとしたら、その第三者からみたボクの投稿のうちいくつかは「的を射てない」ものになっているはず。だって第三者に考え方やナレッジを押し付けるつもりは微塵もないし、それはボクの的じゃないから(ラベルはやむなくそんな感じのものをピックしてるけど。だって適当なのがないんだもん)。
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まずは「的はナニ?同じ理解デスカ?」を経て、「的を得ている」(的がある、それへの共通理解もある)状態であることを確認するプロセスを通ることを怠らないこと。
その上で、その的を射ていない(的を外している)活動・言動に接触したなら、その指摘の前提となっている的自体への認識が共通なものであるかを確認する、共通でないなら共通となるように議論する、という二段階認証的な行動を意識することで、組織としての、会社としての達成目標とそのための活動の合理性が担保されることになりそうだし、無用で冗長なコミュニケーションエラーも回避できそうだよね、っと。