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ロンドンの”千尋”に会えるまで

【ロンドンの”千尋”に会えるまで】
千と千尋の神隠し ロンドン公演が
残り1週間を切った。

2024年7月。
どうしてもロンドンで、
#上白石萌音 さん主演の #SpiritedAway
を観劇したくて、

為替レートの壁もコストの壁も
言葉の壁も「母親」役の壁も
ぜーんぶ超えてロンドンに旅立ってしまった。
その時のことを語りたい。

前後の予定と仕事の関係で、
朝から晩までロンドンに滞在できるのが
わずか2日間という
弾丸スケジュールのなか、
その最後の日の夜に
クライマックスで向かったのがこの
観劇だった。

特に舞台ファンというわけではない。
今までの観劇経験は、
親の付き添いで劇団四季2回と、
海外旅行のついでに1回。

だけれど、

「大好きな俳優たちが
 異国の地で
 日本語で
 日本の物語を演じてくれる」

このことには、わたしを舞い上がらせる
パワーがあった。

ロンドン滞在最終日、
わたしは壮大な電車旅を終えて、
ロンドンコロシアム劇場の
地下鉄最寄り駅に降り立った。

だけれども、
最寄りの出口がわからない。
地図を見ても、
自分の現在地がどこにも書いていない。
道が放射状に広がっていて、
地図上のランドマークが
どれだかわからないから、
どの方向に向かえばいいかわからない。
なんとスマホの電波も全く拾えなくて、
Google mapが開けない。

うろおぼえの地図を
頭の中に呼び起こして進むけど、
歩いても歩いても
観劇に向かう人だかり。

ようやく、別の劇場前で
なごやかに雑談をしていた2人の警備員に
声をかけ、
拙い発音に5回ほど聞き返された後

「この裏にあるよ」

と教えてもらう。

あった。
ポスタービジュアルがなんだかなつかしい。

10m ほどの列の最後尾を追い、
ほどなく中に入ると
そこは桜並木だった。

満開の八重桜の下でお花見をしているかのような観客たち


昨日見たハリーポッターの舞台よりも
わずかに多くの日本語が聞こえる。
案内も日本語版があった。
言葉だけでこんなに安心するなんて。

会場に入るとそこは、
「千と千尋の神隠し」の
苔むしたトンネルの入り口が
すでに見えていた。

オーケストラのチューニングが聞こえるまで、
この劇場が生演奏とともに
舞台を進めることは知らなかった。

一気に心拍数が上がる。
おおー、と、
名前のない歓声をあげそうになる。

イギリスの観劇スタイルはフランクだ。
開幕直前のアナウンスが始まったとたんに
拍手と歓声、指笛が鳴る。
休憩時間には近くの席の他人へ
友人のように話しかけるし、
幕が上がっても
笑い声のAh や落胆のOh の
ユニゾンが会場を満たす。

それでも今日は、
来客の9割以上を占める推定:英語圏の方々は
セリフを字幕で追いかけるしかない。

なのに、
BGMが鳴って
下手から、千尋が所在なげに
歩み出てきた瞬間、
会場がいっせいに息をのんだ。

こわばった膝が、
肩のすくめ具合が、
甘えた声が、
すべて千尋だった。

あれ?中の人、千尋より実年齢が
2倍ほど違うはずなのに。

そして振り返った瞬間、
わたしは主人公の表情に
#橋本環奈 さんの面影を見た。

あれ?彼女は今日本にいるはず。

でもこの一瞬だけで、
2人の"千尋"がともにこの舞台を背負い、
2人が"千尋"をともに作り上げてきたことが
一瞬で理解できた。

会場が最初に沸いたのは、トンネルに入る直前だった。
「帰ろうよー!」と地団太を踏む千尋が
なんだかとっても全力で、10歳で、とっても幼くて、
いつのまにかわたしも声を出して笑っていた。

そうしたら、会場の笑い声とともにあった。しかも同時に。
彼らはどうやって、この興奮を共有できたのだろうか。
映画ですっかり予習して、ストーリーを暗記したのだろうか。
それとも、同じ場で魔法にかかったのだろうか。

魅力的なキャラクターは主人公だけにとどまらなかった。

映画そのままの #夏木マリ さんの湯婆婆は、
身体がなんだか重そうなところも含めて
そのままだった。
だけれどエンディングでは、映画の時より
「千尋が去って淋しい」を
見せずに強がっている感じが、かわいい。

#田口トモロヲ さんの釡爺はなんだか軽快で、
手を動かすエキストラの存在を感じさせないほど
息がぴったりだ。
引き気味の千尋にノリノリでハイタッチするところは、
千尋があまりに引いていたのでまた笑ってしまった。

かしら、赤いふんどしで出てきただけで
今日一番の笑いを取るなんて、ずるい。最高だった。

なによりエキストラが最高だった。
まっくろくろすけの愛らしさ、
通り抜けるあじさい畑の動き、
遠くで暴れるハクの舞い。
すべてエキストラが演じているのだけれど、
まるでパペットがエキストラと一体となって魂をもった
かのような美しさだった。

それらのBeautiful workを一心に浴びた後に、
最後のシーンがやってきた。

映画では、なにか決心をしたかのように
千尋が前に振り返って走り去る。

だけれど舞台は違った。

千尋が、自らの名を呼ぶ何者かに
守られている、と感じて、
その余韻とともに、涙を目にためて去るのだ。

ああ、わたしも、この会場の人たちも、
何者かに名付けられ、
今も幸あれと願われているのだ。

そんな感動と、一抹の寂しさとともに、
閉幕を迎えた。

果たして、わたしの大好きな俳優たちが
ほんの数10m先にいるなんて
信じられなかった。
それでも確かに彼らはここにいて、
日本語で「ありがとうございました」と言い、
ここはロンドンだった。

それを、大喝采で見送った。

この1ヶ月間、わたしはこの旅のことを
文章で語れずにいたのだけれど、

「経験によって自己が変化しても、
 外化しないと元通りになって
 変化がなかったことになってしまう」

そんな言葉を何人もの師匠から
𠮟咤激励される1か月間でもあった。

ロンドンから千尋が帰ってくる前に、
彼女たちに立ち会えた自分を忘れないために、
ここに記す。


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