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ある日突然劇的に見つかるわけじゃない「才能」に気づく方法と、その使い方。

思いがけず褒められるとフォームを崩す。
このnote、気がついたら一週間を突破。2万字程度書いてることになる。現時点だと一生書けると思っているけどいかなるものか。

ただ、少し続かないかもなーって思う時もあって、それは「褒められた時」。誰の目も気にせず、自分の書きたいようにただ書くこのnoteを、よいと言ってくださる人がいる。しかも思いがけない箇所だったり、自分としてはうまく行ってないかもって思ってる部分だったりを。とても嬉しい。これからも褒めて欲しい。ただ、その褒めがあるが故に、そっちを求めて書きはじめてしまうと続かない。そんなに褒められるような文章書けないし。書きたくないし。いや、やっぱどっちかというと書けないからかな。書ける人すごい。人が求めてるものをちゃんと提出できるのは世が求めている才能。すごい。

インターネットの世界だとけんすうさんとかそこがすごく突出している。毎日数千字を、人に興味を持ってもらい、かつ、興味を失わないように書き切る力は日本一だと思う。それを2年間毎日やってる。神。尊敬。僕もそういうのがしたいのかなーと一生懸命真似してみたけど、全然無理でした。一週間も続きません。けんすうさんが簡単にやってるからといってできる種類のものじゃありませんでした。あれは天才(苦しんでるのもたまにみますが、それも含めてとても良い)。

で、今の書き方に落ち着いている。これなら僕は続けられるし、書いていて楽しい。
でで、「思いがけない評価」みたいな話でちょっとだけ才能の話を考えた。

僕たち日本人は当たり前に漫画が隣にある生活をしていることから、才能というものがある日突然劇的に発見され、そこから人生は急激に変わっていくと思っている。多分思っている。というか僕は思っていた。だけどここまで色々と研究して実践した結果、才能ってそういうものじゃないみたいだ。もっというと既に発揮しているとさえ言える。

という話をする前に、「才能」の定義をしておくと、「無意識にやってること」が多分一番近い。そもそも論「才能」という言葉を使わずに説明した方がわかりやすいから使わないくてもいいんだけど、「才能」って言葉に踊らされる人も多いから使って書いてみようかなと。僕も踊らされていたし。

「才能」を「無意識にやっていること」と置いておくと、初期値の高さは別に才能ではないことになる。たとえば、サッカーをしていきなりいいシュートが打てたとか、スノボに行ってうまく滑れたとか、掛け算覚えるのがバリ速いとか、そういうのは別に才能ではない。初期値が高かっただけ。一般的にはこっちを才能って言いますよね。だけど違うんですよ。

これ説明すると、多分この初期値が高かったことから、ハマって、時間をかけて、本当に上手くなるってスパイラルがあることから初期値の高さを才能って誤解しているんだと思う。だけど多分、こういう特定の競技や勉強みたいなサイズで把握された才能なんてものはない。ちょっとわかりにくいですけど、「サッカーの才能」ではなく、「誰かの動きのトレースの才能」とかの方が近い。「想像した通り動く才能」と言い換えてもいい。つまりこの人は、モノマネも上手い。何をどう動かせば、今自分が見たものの通り再現できるかの解像度が高いから。こういう人は、日常的に人間観察をしてたりする。それも群として人間ではなく、個としての人間。この人のすごいところは、今回のテーマでいう「才能」は、無意識に人の動きを見てしまっているところ、となる。あくまで1例だし、もしかしたら全然違うかもしれないんですが、こういうやつです。なんとなくでも伝わりましたかね?

サンプルとして僕の「才能」の話をすると、昔は「巻き込む文章が書ける」だと思ってたんですよ。ロジカルに伝えたいことをわかりやすく伝える、とかそういうやつ。だからこれを前提にいろんなことをやってみました。企業のポエムを代わりに書いてみたり、ライターとして街の魅力を発信してみたり、雑誌にコラムを書いてみたり、と。大きく外れてはないんです。ちょっとは楽しいんです。ただなんかど真ん中じゃないというか。かすってるだけというか。ぐぅというか。。

で、よくよく考えると、別に「巻き込む文章」無意識に書いてないなーっと。書くんだって思って書いてるなと。そう気がついた訳です。じゃあ僕の無意識にやってることってなんなんだろう?って一週間分24時間書き出してみました。事実ベースで。お風呂に入る。漫画読む。寝る。起きる。自転車乗る。MTGする。会食する。みたいなみたいな。自分の肉体の動きを全部書きました。何も無意識にしてませんでした。強いていうなら漫画くらいでした。でもどうも違ったんです。脳が。脳がうるさかったんです。一つのMTGが終わるたびにその時感じたことや相手に対して思ったこと。言えたこと言えなかったこと。ひたすら話し続けてます。漫画読んだ後も心情や描写に唸ってうんうん言いながら頭の中が大合唱です。そしてこれ無意識です。というかみんなもそうだと思ってました。こんなに頭の中うるさい状態でちゃんと笑顔で会話できててすごいなー。切り替え早く他のMTGでれてすごいなー。会食中に食事の味なんてよく感じられるなー。みたいに思ってました。自分がまだまだでみんながすごいんだと。でもなんか違いました。みんな頭の中うるさくありませんでした。衝撃。静か。静寂。なんと。

発覚したのは、友達と話してる時に「このあいだモヤついた時A4用紙5枚、数分で埋めてしまった」みたいなことを話したらきょとんとされた時です。デジタル派なのかな?って思って「いや紙の方が次の発想に至ったり、図示が簡単でいまだアナログなだけであってデジタルが悪いとか全く思ってないですよ」というと、そのきょとんはさらに加速していきました。なんか噛み合わないなーって思って深く掘っていくと、目の前のこいつ、何もしてない。もやっても紙に書くことはないし、そもそも人と会った後に大合唱が起こってない。なんなら人と会ってる時からぼーっとしている。そんなことがわかりました。どっちが特殊かわかりません。が、ちょいちょいその後、機会を見つけていろんな人に聞いていったところ、紙に書く人とかはいましたがそれもいつもとかではなくたまにだし、これだけの量を書く人はいませんでした。いや別にいてもいいんですが、特殊だと認識したって意味です。

ここで僕は自分の才能が、「脳内大合唱」もとい「内省」であると気がついた訳です。あ、内省っていうのは便利な言葉なんで使ってますが、もっとピンとくる言葉が見つかったらそっちにします。なんというか、人に何も言われなくても勝手に駆動しちゃうんですよね。ひたすらに。そしてそれが行き詰まったり、苦しくなったりして、そこから抜け出すために自分で編み出したのがA4用紙に書き殴るで、その結果として文章力みたいなものが磨かれて、その一端で「巻き込む文章」が書けるようになっただけでした。才能自体は「内省」で止まってます。ただ考えるだけ。ひたすら何にもならなくても考えるだけ。それだけでした。そんなことに気がつくと、中学時代仲良い人からは「ロダンみたいだね」とか言われてたのを思い出したりします。まだアウトプットしてなかった頃の僕は、そこが如実に出てたのかもしれません(厳密にいうと、ロダンが考えてたかは知らないけど)。

「才能」の特定ができても別に幸せじゃありません。だって無意識にやってることなんだもん。普通。ただの日常。劇的に人生は変わらない。ライバルも、宇宙人も、世界線も、何もかも今までのまんまです。

ただ、いいこともあります。1つは「才能探し」が終えれること。これに消耗している人も多いんじゃないですかね?「好きなこと探し」と一緒です。

もう1つが本筋。もう1つは、「才能」を使いやすくなります。いや、正確にいうともう既に使ってるんで、評価されやすくなるって捉えた方がいいかもしれません。考えてもみてください、無意識にやってるんですよ?意識的にやってる人の数千倍、数億倍の試行と思考がなされてます。もしなんらかの競技だった場合、そんな奴に勝てる訳ないじゃないですか。最強になってしまいます。無意識に。こういうのをみて「努力は夢中に勝てない」とかそういう標語が生まれたんでしょうね。一部同意です。

でも脱線しますが、努力は尊いので夢中と勝負させるなよとかは思います。自分のため、誰かのために努力したって経験は自分を育てると思ってます。絶対努力しろよーって思ったりはしていないですが、努力している人は努力したことを卑下しなくていいですよ。かっこいいことやってます。あなたはよい。

と、言いたいのは、無意識にはちゃめちゃな試行回数をしているので、勝手に成果が出ます。だから成果が欲しい場合はこの「才能」をうまく使えばいい。最初の「人間観察の才能」とかは、勝手にそれやっちゃってるんだから、それが評価されやすい場所に行けばいい。

楽しいなら演劇とかそういうのにいってもいいけど、評価、成功、お金、みたいなものが欲しいならそれが手に入る場所に自分を置いた方がいいかもですね。演劇でそれ目指すのは日本一とかそういうレベルにならないとなのかもです。それはしんどい。
とするともうちょい軽く成果が出るところ、たとえば高額商材を売る営業とかで活かすって手もあります。人の挙動、何をどう提案したらどんな反応があるのか、そして決める時と決めない時の差は何があるのか、みたいなの「人間観察の才能」で無意識に試行するなら、あとは商材の適切な知識と提案方法みたいなスキルを身につけて無双すればいい。

加えて、良い商品を作ることと、そのノウハウを他の人にも教えること、みたいなところまで身につけたら、会社を作って、オリジナル商品をつくって、メンバーを集めて、売りまくるってことも可能かもしれない。これが「人間観察の才能」から評価されたり成功したりする方法ですね。
ポイントは勝手に評価される才能部分に、欲しい成果の技能を掛け合わせていくことです。これ、もし最初から「演技の才能」って置いてたら辿り着けないのわかりました?お金とか成功とかってのはマーケットから考えないと、日本一でも年収300万円、岡山100位でも年収2000万円は全然あるよって話です。


じゃーお前の「内省」はどうしたんだよ?
って話もあるわけです。ちょっとこれはずるいかもですが、成功とかお金とかの優先順位が僕の中では割と低めで(得られるなら得たい、もらえるならもらいたいとは常々、、)、好きなことをし続けたいがとても強いので、そっちに振ってます。このnoteもそれですね。今まさに内省中といえるかもしれません。今までは頭の中で堂々巡りだった内省を、文字にして、誰かに伝える形式で書いていくことでよりクリアに内省が進みます。

さらに、今まで思ったこともなかったところに脱線したりするのは、ある程度文字という形で道路を作るからこそなのかなと。抽象的思考ばかりだと、どうしても抽象的な言葉にできる前の概念(なんか良いとか、そっちに光があるとか、そのレベル)で終わっちゃうので。一度言葉にしておくのは良きです。変えてもいいし。固定しすぎると頑固になって内省進まないんですが、一時固定くらいなら十分。

あ、でも成功やお金のために使ってることもあって、やっぱり内省すると言葉が増えるんですよ。自分のモヤモヤを表す言葉があったらすごいレベルで吸収するんで。今まで「鋭いことをいう」だったのが「穿つ」に変わるとかそういうやつ。今の自分に一番ハマる言葉の発見は脳が喜ぶので、たぶん内省の結果、無意識にそこは強まっていってます。また、社会にいるとモヤることも多いので、そこを勝手に深ぼってます。まー仕方ないよね、そういうこともあるよね、で終わらせれないことから、そこの解像度が勝手に上がっていきます。

この2つを使うとですね、ポジションが獲れます。
もちろん単価高めの講演とかでお金にするって方法もあるのですが、それよりもポジションの方が圧倒的にお金と成功に近いです。たとえば、瀬戸内エリアにしか投資しないVC。バカなのかな?って思われてます。何そのエリア縛り?とも。だけど、唯一なんですよ。唯一は強い。そしてそれに関する言葉は日々増え、モヤることの言語化も進みます。明らかに唯一無二になってます。

一緒にやってる人の才能は僕が思うに「チャレンジへのリスペクト」なので、スタートアップとの相性も抜群です。もちろん狙いすましてやったわけではないですし、いろんな偶然やいろんな人の助けの結果なんですが、うまく「内省」って才能を使えてるなーって感じます。


このnoteも才能使えてるんでしょうね。褒められることも増えてきました。自分からすると???という感じですが、それでもとても嬉しい。ありがとうございます。成功したいなら才能上手く使っていきましょ。楽しくいきたい時も、才能は便利です。そして才能は全員既に使ってるんで、あとはそれに気づくだけです。あなたの才能使い倒した姿、とても楽しみ。


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頭の中がうるさい。でも、それでいいのかもしれない。

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