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地方創生おじさん

「愚痴しかない飲み会」は叩かれる飲み会の代表例だけど、そこでしか得られない成分は確実にあるのでたまにはありだなーなどと思う。逆に常に生産的で前向きな話ばかりもアンバランスだよね。

何かを誰かに届けたいってピュアな気持ちと、得したい自分の名前を売りたいって邪な気持ちはどれくらい併存するものなんだろう?
始まりはピュアでも濁ることはある。特に地方にいると、本気でこの地方をどうにかしようとしている人と、「地方創生」ってワードに群がる有象無象とが入り乱れる。玉石混合。一見すると見分けがつかない。特に、ピュアに地元に関わりたいって思っている若い人は、おそらく一緒に見える。いや、場合によっては自己アピールの上手い地方創生おじさんの方が、地元で汗水流して、自分のやることがいっぱいあるにも関わらず、それでも未来のために若者に時間を使っているおじさんよりすごく見えたりするだろう。悲しい。

というかそもそも論、「地方創生」って言葉をやたらめったら使ってるちゃんとした人に会ったことない。てかいないんじゃないかな?ということは、「地方創生」って言ってる人に近づくなってシンプルなルールが出来上がるので良きですね。これはそのまま伝えてみようかしら。

もちろん場合によっては「地方創生」銘柄になることで、地域のためになるアクションが生まれることもあるのでそこは乗っかっとこうかみたいなのはあるけど、ほんとにちゃんとやってる人みんな「地方創生」って言わないな。あれ、結構ほんとにそうかも。これ当たってる気がする。みんな覚えておいて!「地方創生!」って声高にいう人、全滅で!(言い過ぎ説はある)


結果として今地方に住んでるので、地方についての解像度も自ずと上がってきた。これもそうじゃない人がいる大前提で話しますが、「東京で相手にされなくなったから地方に来ている人」めちゃいます。というか増えてきてます。

そしてですね、行政機関だったり、歴史ある企業の人は、そういう人が「東京でバリバリやってて地方に想いあってきた人」なのか「東京で相手にされなくてハイエナ的に地方に来た人」なのかを見分けることができません。これは仕方なくて、だって、わかんないでしょ経歴だけ並べられても。横文字系のコンサルティング会社で働いてて、ちょっと聞いたことあるスタートアップと関わってて、CxO的ポジションだった人なんて凄そうに見えますって。やむを得ぬ。ちゃんとレファレンス的に聞く人もその業界にいなかったら、思わずほんとにヤバいキャスティングしたりする。そしてそれがそのまま追加の権威になり、さらに他の地域含め騙されていく。つらいお。

まーとはいえそれはその人の生き方なんでとやかくいう気はないんですが、被害に遭う地域がどんな道を辿るかというと、凄そうな人が凄そうな提案をする→行政の人頑張って予算をつける→なんか成果出ないしむしろごたごたする→それは成長痛だ的に言いつつ数年経つ→焼け畑的に何も残らない→ほんとに想いがある人がその地域で頑張る時に頑なに反対する行政の出来上がり、です。全国数百以上の自治体でこれが行われてます。再現可能性あり。悲しいかな!

そういう人たちを地域に入れないようにするためにどんなことができるのかは継続的に考えていきたいテーマの一つだったりしますね。ただそんなこと?より、どちらかというと興味あるのは、こういうふうに地域に入ってきてる人は満たされているのか?ってとこだったりします。シンプルに不思議。だって一時的にはチヤホヤされても、見る人が見たら「あーやってんね」ってのはわかるし、今は周りに人がいてもどっかのタイミングですーっといなくなるのは目に見えてるわけですよ。本人も薄々その辺り感じてるんじゃないかな?にも関わらずそれを継続している。うーむ。不思議だ。

まぁシンプルにわかってないってのはあるのかもしれない。それか刹那的に「今が良ければ」という生き方。それはそれでいいのかもしれない。だって未来のことは誰にもわかんないわけで。こんなふうにわかった感を出して書いてる僕の方がわかってなくて、刹那的なことを繰り返した結果、多くの人を幸せにするかもしれないしね。

と物分かりいい感じで書いてますが、もう一つ。いわゆる「アレ俺」。プロフィールに無限の肩書を載せて、ちょっと手伝ったことのある仕事をさも自分がコントロールしてたかのように語り、誰かの手柄を自分のものにするアレ。いろんな見栄えのいい数字が並ぶ。考えたこともないような数字の作り方。なんなんだ...。

これも揶揄する意図はなく(いや、多少はある気がするな、ごめん、、)、すごく不思議なんですよ。それらの謎の肩書羅列、作られた数字で自分が認められて、ほんとに満たされるのかな?すごく悪い言い方をすると、そんなことで評価してくれる人に評価される虚しさとかないのかな?わかってないなーって思いながらニヤニヤしてるの?わからん。。

もっと自分が本当に頑張ったっていう仕事の成果や追い求めてやまずに歯痒い思いをしていることを知った上でどうせなら評価して欲しくない?

「顧問数が100社を超えました」
→「すご〜い」

でほんとにいいの?
いやもちろんほんとにちゃんと顧問としての仕事をしつつ、自己の認識的に顧問として働けてるんならいんですよ。実際そういう人も知ってます。僕には絶対できない。ほんとにすごい。一方で、ちょっとその顧問先として書いてある企業に聞くと「いや、なんもしてもらってないっすね」みたいな返事がすぐ来るような人もいるわけですよ。それ自分でもわかるでしょ流石に。見ないふりしてるのかな?えどうなのほんとに。今日は疑問でいっぱいだ。


そしてさらに深掘りをしてみると、このあたりちょっと同族嫌悪的なところあるのではないかと。僕の自己認識において、僕らの評価ってやつは実際よりもかなり高いと思っていて、これは謙遜でもなんでもなくすごくうまくハロー効果的な、錯覚資産的なものを使ってるなーって思ってます。その意味で、上記の「アレ俺」的な人と大差ない。

あ、だからこそかもしれない。
やるならやればいいけど、もっと上手くやれよと思っているのかな?いや、ちょっと違う。誰に向けての錯覚資産なのか、かもしれない。

僕たちがやってることを高く評価してくれてる人たちって、ちょっとわかってる人たちなんですよ。ちょっとどころかめちゃくちゃわかってくれてる人たちかもしれないけど、とりあえず、僕たちから見てもすごいなーって人から評価してもらえてたりする。ありがたい。

一方で、先ほどの「アレ俺」系の人達を評価してる人は、ちょっとわかってない人達なんですよ。数字だけ、肩書きだけですごいって言っちゃう人達というか。

逆にいうと、ちょっとわかってない人たちから僕たちの評価は異常に低かったりします。なんでお前ら頑張ってないの?そんなことして意味あるの?的に言われることもあるし、そもそも注目もされない。なるほど、そういう違いがあったのか。


これ書きながら思ったんですが、やっぱどっかずっと気になってたのはある種の「同族嫌悪」なんだと思いますね。自分たちと比較して自分たちはよくて、その人たちはダメって言いたいわけではなく、求めてる気持ちとか感情というものは大差ないかもしれないなってことです。今の自分たちのやり方の方が自分たち的に満足度が高いけど、それは彼らも一緒かもしれません。とやかくいうことじゃなかったですね。学び。


今日イベントで「平和ってなんですか?」って質問に「対立する人と共に歩めること」って答えてたシーンがありました。とてもいいなって。これもそんな話なのかもしれない。


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頭の中がうるさい。でも、それでいいのかもしれない。

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