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価格は人をコントロールする
今朝のニュースで、「東京オリンピック開催期間中、首都高速道路の料金を時間帯によって変動させるロードプライシング(道路課金)制度の導入を、大会期間中の交通渋滞対策として検討していることを明らかにした」と報じていた。
値段をあげたら普通のドライバーは利用を避け、渋滞解消になるだろう
ということらしい。
価格は人をうまくコントロールするんだな。
弁護士事務所の所長とベテランと新人の1時間あたり相談料は違うし、
トップスタイリストと新人美容師のカット料金は明らかに違う。
時に価格は安心の保証料や技術の確かさの目安にもなっている。
ここのところ、お茶会の相場が上昇しているように感じる。
お茶会やお料理会やお話し会や、そういう会全般にそう感じる。
そもそも相場なんてあってないようなものなので、なにが正解なんてない。
お菓子を味わって1万円(例えば)
お茶を楽しんで1万円(例えばね)
そう聞いただけでは、その1万円は高いのか安いのか、もうちょっとよくわからない。そこにはなんの価格が含まれているのだろうか。
おそらく1万円を支払わせることで、その人を様々に拘束することができる
それを主催者はよく知っているのだ。
返金致しませんとなれば、相当よく考えて申し込む。
気軽にキャンセルなどできなくなる。
ひやかしで来る客を事前にフィルタリングできる。
1万円も払ったのだからと、元をとるために集中して真剣に参加する。
1万円もしたんだから、あれは美味しかったに違いないと全面的に賛同する。1万円も払って損したなとは認めたくない。
1万円もする会に参加した自分は、なにかすごい体験をしてグレードアップした誇らしい気分になる。そしてそれをSNSで披露する。イイネもらう。
主催者には、賞賛と風評と満足なギャラが残る。
みんな幸せだ。なんの問題もない。
1万円払っちゃうメンタリティってなんだ。
ずっと憧れていた人に会える、話ができる
その人に少しでも近づきたい、物理的にも精神的にも
そんなとこかな
それって目に見えないものへのお布施じゃないのか。
ずいぶんな言い様ですけど、1万円でも安いと感じることだってある。
1日目が終了し、その茶席のひとつ「お茶と料理の実験室」で出した料理で使った抹茶味噌や利久味噌を嘗めさせてもらったり、料理をつくった
かけはしの柿本さんとなにげなく話していたときのこと。
「この蛸がね、ただ抹茶味噌と合わせただけでは合わんのですわ。味がバラバラになって。なので、足を吸盤と皮と身にわけて、身の方はさっと油通しして醤油と味醂で煮て味噌に1日漬けたんですわ。そしたらやっと味同士が手を結んで」
足を吸盤と皮と身にわけて油通しして醤油と味醂で煮て味噌に1日
足を吸盤と皮と身にわけて油通しして醤油と味醂で煮て味噌に1日
呪文のように繰り返してしまった。
それは今回の料理の一部であってほかにもいろいろ手がかけられている。
もっとすごいのはイベントだから特別に手をかけているわけでなくて、普段の料理が一事が万事こうだということだ。
「それは食べたらわかる」
とことさら説明したりしない。
きっとそういう「お客に払わせた料金以上のものを持って帰らせたい」
と考えて準備している人は真剣で、体験したらその値段を高いと思わないと思う。
雲間のお茶教室やイベントごとはだいたい3000円かそれ以下
気軽なキャンセルも食らうし、なかなか、なかなかです。
でもお茶が好きな人に気軽に参加してほしいし
そんなに興味なかった人にお茶すげえと言わせたいし
3000円でも高いんじゃないか映画が2回見られるそれより満足させられるだろうかといつも思う。庶民。
1万円のお茶会と3000円のお茶会が並んでたら、1万円の方がよさそうだしすごそうな気がするよね・・・・
でも差額の7000円でお茶や道具をいっぱい買って、自分でお茶を淹れる主導権を握って欲しい。
憧れにコントロールされるふわふわしたおままごとも楽しいけど、
自分の意思で
自分の好きなように勝手に遊べるのが一番幸せだと思う。