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妄想邪馬台国16

「異能君は、九州説よね」
「そうだよ」
「魏志倭人伝の行程はどう考えるの?」
「魏志倭人伝を書いた中国の歴史家・陳寿(1)は、日本に来たことがないと言われているね。歴史家ってのは基本は資料と情報集めだからね。実際に倭国に来た人間たちから聞いたことを記録したものとすれば、行程の距離や時間は正確ではないんだ」
「うん、それはよく言われているね」
「だからといって、まったくの出鱈目と言うのは尚早さ。後世の人間は与えられた情報から推測するしかないよね」と言いながら異能は九州の地図を開いて見せた。

(1)陳寿:中国、晉の歴史学者。字(あざな)は承祚(しょうそ)。三国のに仕え、蜀滅亡後、晉の張華に認められて著作郎(記録者)となり、「三国志」を編集した。「三国志」中の「魏志倭人伝」は、2~3世紀の日本を知る資料として重用されている。

コトバンク 精選版 日本国語大辞典

「ええっと…対馬から一支国、末盧國、伊都国、奴国、不弥国、投馬国…と進んで……それから邪馬台国に至るんだ。
一支は壱岐島、そこから九州に上陸する。末盧国は、今の長崎県松浦市、伊都国は福岡県の糸島、奴国は福岡市、不弥国は飯塚市、投馬国については、よくわからないけれど行橋市…とかね」
「ふーん、福岡県を横断するってことね?」
「うん」
「でも、倭人伝の行程としてはおかしいわね」
「へへへ、まあ、慌てない慌てない。たとえばってことさ。実は投馬国ってのが福岡の行橋辺りじゃないと困るんだ」
「何で?」
「ふふふ、それが肝なのさ。邪馬台国へは投馬国から水行十日・陸行一月”とあるよね」
「うん」
「時間や距離の感覚は今とは違うんだけれど、投馬国からの行程となる水行10日、陸行1ヶ月という“長距離”という印象から、九州に上陸したあと、中国地方に渡って、吉備、難波、大和(奈良)って進む畿内説が多いんだね。何しろ邪馬台国と大和って音も似ているし、奈良には卑弥呼の墓だと言われる箸墓古墳もあるからね」
「うん」
「だけどね、そうだな…。例えば治子ちゃんは、いつ敵になるかもしれない奴に素直に自分家(じぶんち)を教えるかね?」
「教えるわけがない」
「でしょう?それでさ、そいつに尾行されたとしたらどうする?」
「できるだけ遠回りしたり、友達のところに泊めてもらったり、最終的には警察に駆け込むかな?」
「邪馬台国へ先導する人間も同じだよ。邪馬台国の場所が特定できないように遠回りして魏志たちに目眩ましをしたのさ」
「あ…」珍しく治子が驚いた表情をした。
確かに侵略される敵になるかもしれない相手を正直に自国に容易く案内する奴はいない。
「でね、まずは投馬国から船に乗って国東半島を経て宮崎県の方向に回り込んで、そのあと九州の南側の宮崎に上陸した。これが水行10日」
「なるほど」
「それから歩いて内陸を1ヶ月かけて、また邪馬台国がある福岡県に戻っていくのさ」
「邪馬台国は福岡県にあるってこと?でもさ、目眩ましといっても宮崎まで行く必要はないんじゃないの?」
「宮崎には高千穂峡があり、福岡に戻る途中には阿蘇山があるね」
「それがどうしたの?」
「魏志を案内する人間は、珍しい高千穂や阿蘇山を見物させながら邪馬台国に向かうのさ」
それを聞いて治子が大笑いした。
「観光させたってことね。目眩ましだけじゃなくて観光のための陸行一月ね。面白いね。そういう説って初めて聞いたわ。確かにそれはあるかもしれないわね。で、邪馬台国はどこなのよ?」
「福岡県の山門郡(現・柳川市あたり)さ」

つづく


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