妄想邪馬台国外伝「日月神示」
2013年に今は亡き元総理大臣の夫人が千葉県成田市にある古い神社を訪れた写真が週刊誌に掲載されてちょっとした話題になった。同行していたのが怪しい団体の代表者で大麻を所持し逮捕される前科がある人間だったのも一因だった。その人物のことはどうでもいいのだけれど、僕もこの写真を見て疑問に思った。
夫人の夫が総理大臣に復帰したのは前年の12月だったから、願掛けに神社参拝するのも不思議ではないが、「何故に田舎の神社に参拝するのだろう?」と疑問に思ったのだった。
この神社は麻賀多神社といい、実は、いろいろと不思議な伝承がある。
「日月神示」という本がある。著者は岡本天明という人物で、明治30年に岡山県に生まれた。子どもの頃から霊能力を見せ、10代には絵の個展を開き「天才」と称された。その後、大本(おおもと。正式には大本教とは言わない。出口なおとその娘婿出口王仁三郎が興した神道系宗教)と出逢った。大本教祖の出口なおは、神がかりによる自動書記(オートマティスム・ライティング・何らかの憑依によって無意識状態で文章を書くこと)で神示が伝えられた。
大正10年に1回目の大本教弾圧事件が起きる。大日本帝国は宗教に対する弾圧を行なった。神道系新宗教(黒住教、金光教、天理教など)を教派神道として国家の公認下に入ったものの、明治後期の大本を弾圧したのだった。
大本に文化人、軍人などの大本への入信者が増え、大本による新聞社の買収などが行なわれたからだ。そう考えると、現在のS学会やT教会の政治介入の社会放置が恐ろしく感じられる。
日月神示は昭和19年から昭和23年8月23日まで自動書記によって綴られた。これに何が書かれているかというと、昭和19年に書き始めた「冨士は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす世となれる…」から昭和23年に書かれた「耳に一二三聞かするぞ、愈々耳に聞かする時ざぞ。それぞれ人に応じて時によって口から耳に肚から肚に知らしてくれよ、あなさやけ、あなすがすがし、岩戸開けたり、二十三巻で此の方の神示の終り、終りの終りぞ」までの、ほぼ精神的高揚によるリズム感だけの文章。内容についてはよくわからない。
書かれた文章に、後付けで強制的に意味を当てていくのは、この手の常套手段。たとえば五六七というのがあり、これを当初は「ミロク」と無理に読んでいたものを、2019年から続く新型コロナパンデミックに当てこすり、「コロナ」と読めるのではないか?と意味づけたりする。五六七をコロナと読むのは自然だが、もともとミロクとは読めないのに無理にミロクと読んでいた。ミロクならば「三六九」ではないか?という感じだ。
本当に神がかりによる自動書記されたものならば、それだけで希少価値があり、神秘的であるのに、無理に神だのお告げだのと意味づけしていく必要はないのだ。しかも不敬なことに天皇家に意味づけしようとする。
必ずしも神道=天皇家ではない。呪術=アマテラス(呪術師女王・卑弥呼)=天皇家であり、そこに蘇我馬子にそそのかされた聖徳太子らによる仏教導入。推古天皇から仏教を重んじ、呪術神道+仏教という、わけのわからない国家神道に至っている。
そもそも「この世に神などいない」。
神がいるならば、万人は不死であり、平等に幸福であるはず…。それが実現できていないばかりか、神のために自爆だとか男尊女卑だとか民族主義だとか馬鹿な争いばかりが起きている。神と尊ばれる生き神様も寿命で死ぬ。最近は、僕と同い年(66歳)で死んだ生き神様もいる。そんなバカたちに詐欺られて不幸に陥る。お笑いぐさである。
日月神示は、本当に自動書記で書かれたものであるならば、奇書として存在し続けてもいいが、そこに神の意思など微塵もない。だってさ、所詮、普通の人間が書いたものであるからだ。書いた岡本天明も昭和38年に急逝している。67歳だった。僕は66歳だからもうすぐ死んじゃうんだなと改めて思う。
日月神示が手元にあるが、読書嫌いの僕は読む気にならない。
故人となってしまった元総理の奧さんが、2013年に麻賀多神社を参拝したのは、岡本天明の「日月神示」にあやかろうとしたのか、それとも大麻信奉者であるからかはわからない。
銃弾に倒れた元総理を国葬までしたのは何かしら天皇家に伝わる呪術的だった。元総理は、呪いで災いを呼ぶ菅原道真や平将門のように偉大な人物ではない。ただの世襲坊ちゃんで、頭も悪い。ただ、彼を背後から操作していた秘密結社とか宗教団体とかの中には国家独裁を狙うバカ者がいるのだろうと思う。いずれにしても、麻賀多神社の不可思議さが、僕は非常に興味があるのだ。