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終末のトリリオネア
細菌戦争で地球はいよいよダメになり、$は火星にその支配圏を広げようとしている。
$は下僕たちに地下農園付きの巨大なシェルターと、そこを防る屈強な警備隊を持たせた。しかしそこには連日、水や食料を求め暴徒と化した有象無象が押し寄せ$にとっては都合が悪い。何故なら下僕たちが暴徒襲来によって精神に問題を来し始めたためだ。
──何も恐れることなどない。警備隊には充分な報酬とワクチン。それに専用農園のパスキーを与えてある。忠誠は確かだ。誰もお前を裏切りはしない。
「うるさい! うるさい! うるさあああい!! 蟻の子一匹でも僕のシェルターに入れてみろ! 電流でその首刎ねてやるからな!!」
内言を装った$の言葉に、$の一番の下僕であるハーランは聞く耳持たずといった風情で頭を掻きむしり、警備隊たちをトランシーバー越しに怒鳴りつけた。寄せばいいものを、ハーランはここ五日ずっとシェルターの警備室に篭り切りで、昼と夜となく押し寄せる暴徒が映る監視カメラの映像を徹夜で見張り続けている。
$には、ハーランの恐れているものが一体なんなのか皆目見当がつかない。ハーランは地球上で最も革新的なリーダーであり、また同時に、地球上で最も非情な男である。彼は事業の拡大と効率化のため多くの人間を破産させ街も破産させ、国すらも潰し$のためよく働いた。
しかし今の彼はどうだ。「地球上で最も革新的なリーダー」の見る影もない。こうなってしまってはハーランを正気に戻すのは難しい。なので$は二番目の下僕、シャルロッテの様子を窺うことにした。
シャルロッテはベンガル湾内にある清浄な島にシェルターを構えている。しかしハーランのシェルターと違い、シャルロッテのシェルター付近には暴徒はおろか、警備隊の姿も見当たらない。そして何より、清浄であったはずの島は細菌の坩堝と化している。
シェルター内には幾人もの死骸が折り重なっていた。どの死骸も痩せさらばえ、地球上に蔓延している細菌病の特徴である痘痕が浮かんでいる。シャルロッテはそのシェルターの最奥、彼女の私室で幾多の骸と同じように息絶えようとしていた。
──どこで間違えた? どうして死ななければならない?
$はまた、内言を装いシャルロッテに問う。
「仕方がなかった。これでよかったのよロッテ。あなたは何も間違えてなんかいないわ」
かさついた唇から嗄れた声を発し、シャルロッテは死んだ。その段になって$は、初めてとある事態の蓋然性に思い当たる。
$は三番目の下僕、ヤンの様子も窺った。ヤンは既に息絶えた後であった。四番目の下僕アディラも、五番目の下僕マツダも同様だった。
$は地球上で唯一生き残っているトリリオネア。一番の下僕であるハーランのもとへ戻った。ハーランはやはり血走った目で監視カメラの映像に目を光らせ、警備隊に怒声を浴びせ続けている。
──落ち着けハーラン。あと三日だ。あと三日で火星行き恒星船の準備が整う。そこでお前はまた、新しい事業を展開し金を稼ぐんだ。
「そうだ。あと三日……あとたったの72時間だ。ここを防り抜いた者は全員、僕の恒星船で火星に連れて行ってやる! そこで人類はまた新たに──ッ!!」
ハーランがトランシーバーへがなった、その時だった。
防犯カメラの一台に、痩せた赤ん坊を抱いた若い母親がまろび出てくるのが映し出された。
警備隊の銃口が下がる。ハーランは息を飲んだようだ。
『どうかお願いです! ミルクをくださいとは言いません! せめて水の一杯だけでも……!』
母親が涙ながらに訴える声が、警備室のスピーカーを揺らした。
「うわああああああっ!!」
ハーランはその母親の姿と声に、怯えた様子でトランシーバーを投げ出しては尻餅をつき後退りをした。
──どうしたハーラン。躊躇うことはない。撃ち殺せ。そうしてお前はトリリオネアの座に着きこの穢れた星から逃れる力を得たのではないか!
「うわああああああ!! うるさいうるさいうるさいうるさああああああい!!」
『お願いですハーランさん! どうかこの子だけでも中に!!』
「黙れ黙れ黙れ黙れ!! 頼むから黙っててくれ!!」
『ハーランさん!!』
銃口を下げた警備隊は、戸惑いも露に母子を取り囲んでいる。周囲の暴徒からは「入れてやれ!」「そうだそうだ!」と野次が飛ぶ。
「……てやれ」
ハーランはもう一度頭を掻きむしってから、投げ出したトランシーバーを手に低い声で発した。警備隊から「サー。申し訳ない。もう一度お願いします」とすかさず返事が来る。
「入れてやれと言っている!」
──良心!!
$は自らの予感していた蓋然性が的中したことに絶望を覚え、同時に人間が時に神と呼び$の支配を打ち負かしたその「良心」という存在を強く憎んだ。
ハーランは自棄を起こしたように「畜生!」と発しては、あたりの椅子やデスクに当たり散らしている。しかしやがて慌てたように防護服へ身を包み、シェルターの農園へと駆けて行った。
母子を受け入れたことで、このシェルターは清浄ではなくなった。そして感染力も致死力も高い細菌は、三日もあればハーランの命を奪っていくだろう。
$は匙を投げ、別の世へ渡ることにした。まだ文明の起こって間もない世だ。
その世に存在した、路上に生きるとある少年に$は目をつけた。ゴミを漁る生活の中で漸く手にした金貨一枚──$の輝きは、少年の目には星よりも輝いて見えたことだろう。
見込みがある。と$は感じた。「良心」に屈せず$の下僕となった少年は、後に「魔王」と呼ばれることとなる。
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ダグラス・ラシュコフ著「デジタル生存競争 誰が生き残るのか(訳:堺屋七左衛門)」の読書感想文を掌編で。
BURNOUT SYNDROMESの「邪教・拝金教」からも着想を少し。
音楽、鳴るようになってきた!