#25 思考の幅を広げてくれた人
吉本ばななさん(改名されて、よしもとばななさんになり、再改名されて吉本ばななさんになってからも含め)の小説は全て読んできた。
10代の初めに『TUGUMI』という小説に出会ってから30年。
わたしが彼女の作品から受けた影響は、計り知れない。
ある部分においては、わたしが属した2つの家族からの影響を超越している、と言っても過言ではないほどだ。
初期の吉本ばなな時代の『アムリタ』に『うたかた/サンクチュアリ』、『N・P』に『哀しい予感』は各数回、『ハチ公の最後の恋人』にいたっては、ある時期、毎年のように読んでいたこともあり、ゆうに十回は超えているだろう。
よしもとばななに改名してからの作品も、『鳥たち』も『まぼろしハワイ』も『もしもし下北沢』も、『花のベッドでひるねして』も『なんくるない』も、もちろん他の作品も、読了とともに、
「はぁ、素晴らしい」
と、感嘆のため息をついたものだった。
この言葉は、本当に、するりと口から漏れでるし、それと同時にふっと笑みも漏れて、首もふっていたりするのだから、その瞬間のわたしは最上の感動の中にいると思う。
それは、至極幸せなことであり、本を好きでいて、しかも、この「吉本ばなな」という作家さんを見つけることができて、作品を愛し続けることができて、本当に良かったと思うと同時に、あと何作、彼女の生み出す作品に触れることができるだろう……という、一抹の寂しさも感じたりするのだから、なかなか、どっぷりなファンなのである。
そして、吉本ばななに再改名してからも、読了後の「はぁ、素晴らしい」は健在で、こと、2018年の秋に『吹上奇譚 第一話 ミミとこだち』読了後には、感動が続くままに、パソコンに丸々一冊の打ち込み模写をした。
『吹上奇譚 第一話 ミミとこだち』については、ネタバレを避け内容は記さないが、吉本ばななさん自らが、あとがきに「50年かけて会得した、秘密の書き方をした」と書かれているように、30年作家として活躍されてきた中での集約的作品なのだろうと、つよい感銘をうけた。
そして、2019年1月に、この『吹上奇譚 第二話 どんぶり』を購入したものの、棚に入れおいたまま読まずにいた。
というよりも、読むことができなかったのだ。
1月のわたしは、わたし自身の再生の始まりの時期を生きているというか、もしかしたら再生というよりも、「本来のわたしとは、いったいどんなわたしなのだろう? 」という一点だけをぐっと覗き込んでばかりいる時期で、脳内が複雑な思考や、処理できないままの感情でパンパンに膨らんでしまっていたものだから、小説を読む、というわたしの愛すべき時間さえ、日々の中に持ち込むことが難しかった。
だから、タイミングがくるまでは、と棚に入れたままにしていて、ここにきてやっと手にとって、一気に読み終えたところで、30年ほどの長い時間を、吉本ばなな(よしもとばなな)さんという作家さんと向き合ってきたこと、本を好きになり、彼女を見つけ、作品を愛し、手元におき、また手を伸ばし、言葉を追いかけてきた自分のことを、褒めてあげたい気分になった。
ばななさんの作品を通して、わたしは、家族の在り方はひとつではないことや、ただ、そこに愛が漂っているのであれば、集う人に血の繋がりがなくともいいのだということを知ったし、反対に、血の繋がりがあっても、愛の漂わない集いがあることや、血の繋がりこそが、歪んだ愛の檻の中に家族、おおむね、弱き者である子どもを押し込め、自由を奪うことがあることも、知った。
また、目に見えないものの存在や、人智を超えた不思議な出来事や、チカラを持った人がいることについても、わたしは、ばななさんの作品から教わったように思う(こと、『吹上奇譚』シリーズは、そのような登場人物や摩訶不思議な出来事のオンパレードだ)。
けれど作品に触れてきたことで、わたし自身が、そのような、一見、理解の及びにくいものや人の存在を否定しない心や、摩訶不思議な出来事が起きたときに、逃げ出さずに、静かに見つめることができるようになっていたことは、生きていく上で、ひどく重要で、柔軟な思考をわたしの中に育んでくれたと思っている。
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人はそれぞれに違う。育った環境も、そこから受け取った大切なものも、常識と言われるものの範囲も、非常識と思うものの範囲でさえ、人の数だけ違う。
その違いに直面したときに、反発よりも受け入れることができるということは、心を柔らかく保つことに繋がる。
自分の体験から得た知識、自分の理解が及ぶ範囲の出来事や思考、自分があたりまえと思うことの枠を超えたものに、いちいち過剰反応し、時に、排除さえして抵抗をすることは、場合によっては自分を守る術になることもあるだろう。
けれど、自分の体験から得た知識、自分の理解が及ぶ範囲の出来事や思考、自分があたりまえと思うことの枠を超えたものを、「そういうこともあるよね」「そういう考えもあるよね」「そういう生き方もあるよね」と受け入れることができることは、人生を柔らかく、軽やかに、生き抜くことができるような気がしてならないし、わたしは、そのように生きていきたいのだ。
とはいえ、わたしだってまだ未熟で、度肝を抜かれる展開にひるむことや、先の不安に心細さを感じ弱気になってしまうこともあるけれど、上記のような思考をわたし自身の中に持てるようになったことは、本当にわたしの財産であり、その思考を持つことのできた背景には、やはり「吉本ばなな」という作家の作品に触れてきた時間があるのだ、と確信と感謝をもって言いきることができる。
今、この時期に『吹上奇譚 第二話 どんぶり』を読むことができたこと。その中に書かれていた、これからのわたしに並走し、励ましてくれるであろう、幾つもの言葉を見つけられたことは、本当に奇跡のようで、感動を超えた歓喜の涙がこぼれおちるほどだった。
なんとも、なんとも、有難いことだ。
前作からのもらいワード……「心細い」