モロホシクミ

言葉を紡ぎ、言葉で遊びながら、もの書きとして生きてゆきたい。 センジュ出版から刊行、「…

モロホシクミ

言葉を紡ぎ、言葉で遊びながら、もの書きとして生きてゆきたい。 センジュ出版から刊行、「千住クレイジーボーイズ」原作・高羽彩(ノベライズ担当)「あの日ののぞみ246号」著・中村文昭(構成担当)

最近の記事

#42 キミハ、キイテイナカッタノネ……

明日から公開されるディズニー映画『LION KING』にちなんで、わたしが幼稚園教諭時代に、お遊戯会で『ライオンキング』をやった時のお話を。 * 幼稚園にはいくつかの行事がある。 遠足に、夕涼み会、お泊り保育に、運動会。それから、お遊戯会に、音楽会など。 他にも、細かいものがいくつもあり、行事に追われるようにして一年が猛スピードで過ぎてゆく。 学年単位で動く行事が多い中、お遊戯会だけは、クラス単位で進めていけることが楽で、わたしは大好きだった。 物語の選択から、音楽、衣

    • #41 ワダツミの木

      わたしは、祖父が大好きだった。 だから、祖父に向けて、祖父の好きな歌(杉良太郎の「すきま風」や山本譲二の「みちのくひとり旅」など)を、祖父の家のカラオケで歌うことで、祖父との意思疎通をしていた時期があり、歌うわたしの姿を祖父が嬉しそうに見つめてくれたり、褒めてくれることで、歌が好きになり、人前で歌うことも好きになった。 祖父が亡くなってからは、親戚が集まってカラオケをする機会も減り、もっぱら、お風呂の時間が歌の時間になった。 浴室に反響して声が伸びてゆくことが気持ちよく

      • #40 トーク&トーク&トーク

        ある日の新幹線内での出来事。 夏休みのせいか席が取れず、仕方なく、三席並びの最前列、真ん中席を予約。 乗車して見れば、真ん中の席を空けて、両サイドにご婦人の姿。 どうやらお二人は友人のようで、仲良く談笑中。 ご友人同士の真ん中に、わたしが座るのかしら……? と思いながら、その席に座ります、と目で伝え、笑顔で挨拶。 すると、通路側のご婦人が席を立ち、身辺整理をしながら、前テーブルをもとに戻している。 あ、隣にずれてくれるのかな……。 そして、わたしは、通路側の席にチェンジ

        • #39 抱きしめてもらったのはわたしの方だわ

          先日、外食に出かけた日のこと。 席に着き、しばらくすると、小さな男の子の泣き声が店内に響き渡った。 だんだんとヒートアップしていく声に、他のお客さんの視線が、その席へ集中していくのが分かる。 子どもたちがまだ小さい頃、我が家の長男の着席時間が、わたしの着席時間でもあったから、正直外食は楽しめなかった。 メニューをゆっくり見ることも、届いた食事を温かいうちに食べることも、ましてやゆっくり食べることも、ほぼなかったな……と、泣き叫ぶ子をなだめているであろうママの心境に、かつて

        #42 キミハ、キイテイナカッタノネ……

          #38一度、死んでみたらいいんじゃない

          「来た……」 6月のはじめ。 わたしの中に、それは訪れた。 来たもの。 それは、創作の始まりの一文。 長く脳内で探り、消し、また探っても見つからずに手放し、いつか訪れたら書こうと思っていたものが、6月の頭に不意に訪れたのだ。 わたしは、来たものを逃したくなかった。 来た、と思ったその後に「書きたい」という衝動に呑み込まれるのを知っていたから。 しかも、2週間後に締め切りの文学賞があると知り、書きたい欲は一気にあがった。 けれど、翌日から仕事が始まる。 新しく、お寺で働く

          #38一度、死んでみたらいいんじゃない

          #37 蛇は苦手でした。

          蛇は苦手でした。 感情の見えにくい目と、割れた舌先が苦手だったのです。 ですが、昨年、伊勢神宮で蛇を見たのですが、その話をした時に、「おい、キミ、それはすごいことだぞ」みたいな反応を多くもらうようになってからというもの、蛇への苦手意識が薄らいでおりました。 ですが、以来、なかなか遭遇することもなかったのですが、昨日、家の庭に現れたのです。 ギーギーと鳴く鳥の声に引っ張られるように庭に出てみれば、見たこともない、薄いグレーと鮮やな青色の、大きめの綺麗な鳥がいました。 「

          #37 蛇は苦手でした。

          #36 なんともおもしろい体験の旅なのだな、と思うのだ。

          昨年の秋と冬の間。 わたしは、わたしとはぐれてしまいそうになった。 幼き頃より自分との対話を好んで成長してきたことで、あらゆる悩みの答えは、必ず自分の中にあると信じて疑わなかったわたしが、わたしを見失いそうになったのだ。 起きた事象への「なぜ?」を重ね、その答えを見つける前に、新たな「なぜ?」を重ねてしまい、そのループが、わたしの脳内や心の柔軟さを奪っていった。 柔軟さを無くし、凝り固まった思考の中に宿ったものは、寂しさから生まれた怒りだった。 わたしは概ね、自分に関

          #36 なんともおもしろい体験の旅なのだな、と思うのだ。

          #35 「明」を放つ人

          ゲッ……。 まじ……。 早朝の京都祇園。 わたしは自分のうかつさに呆れ、小さく笑った。 時刻は5:55。 普段なら、「おっ」と反応するぞろ目も、このシチュエーションではさらりと流れてゆく。 このシチュエーションとは、ホテル仕様の半そで&短パンのスエットの下に何もつけていない状態で、ホテルの入り口でアホみたいに茫然と佇む、というシチュエーションだ。 「ノーパン&ノーブラ&ノーメイクで京都祇園の街に放り出されたわたし」 胸中で自身の置かれた状況を呟き、ふたたび笑う。 「

          #35 「明」を放つ人

          #35 9.22×3

          17歳の春。 わたしは、当時つき合っていた同学年の彼との別れの中にいた。 別れといっても、距離的な別れ。 彼が、サッカー留学でアルゼンチンへ飛びたって行く日の朝、わたしは、彼のお父さんとお母さんと一緒に空港まで見送りにでかけた。 成田までの高速は悔しいほどに空いていて、別れへのカウントダウンが近づく現実の中にいるはずなのに、わたしの心はその現実に追いつけず、後部座席に並んで座る彼の手に触れてみたり、彼の横顔を見つめたりしながら、どこか上の空だった。 けれど、帰りに3人にな

          #34 だから、全然OKじゃん!

            バレーボールに熱を向けていた時期があった。 小学校4年から、中学3年までの間のことだ。 年齢で言えば、10歳から15歳。 多感も多感。 多くのものを、スポンジのように吸収する時間だ。 小学校で入ったクラブは、例年都大会出場しているようなチームだったこともあり、わたしは、学校が終わると、毎日チームメイトとバスに乗って練習に向かった。 加え、土日は試合or練習試合。年末と正月の三が日以外は練習、という練習づけの日々。 そんなチームで長らく指揮をとるのは、今の時代であれば即

          #34 だから、全然OKじゃん!

          #33 剣豪の孫娘(ショートショート④)

          剣を愛する少女がいました。 少女の祖父は、少女の誕生を心から喜び、少女に愛を注ぎました。 少女もまた、祖父に愛を返すことを喜びとしました。 祖父は名の知れた剣豪でしたが、剣豪が重宝された時代は過去のこと。 ですから祖父は、剣を愛した自分を封印しながら生きていました。 けれど、祖父を愛する少女には、祖父がまだ剣を愛していることが分かりました。 小さな心でも、まっすぐに、愛する人の心を覗けば、そこに何が映っているかは分かるのです。 祖父もまた、少女が、祖父自身の中に消えずに灯

          #33 剣豪の孫娘(ショートショート④)

          #32 どの姿も美しい

          夜が好きだ。 夕刻から夜にうつりゆく時間に、心が波うち、躍動し始める感がある。 月も好きだ。 闇に染まった夜空に、浮かぶ月をみつけるたびに、 「あ、そこにいたのね」 とか 「っよ!」 みたいな感覚を抱く。 19日の早朝に満月を迎えることもあり、今宵は月が綺麗だ。満ちてゆくエネルギーの分、発光もつよく見える。 三日月も上弦や下弦の半月も好きだが、やはり、夜空を背景にして強い発光で存在を示す満月は、ひどく魅力的だ。 見飽きない。 本当に、見飽きない。 もしも、縁側に座

          #32 どの姿も美しい

          #31 作家は三代で作られる?

          「作家は三代で作られる」 そう、わたしに教えてくれたのは、誰だったかしら……。 わたしは、書くことが好きでいながら、書籍に関わらせてもらったこともありながら、まだ、まだ、作家でもライターでもないと思っている。 そんなわたしだからだろうか。 上記の言葉を聞いた時に、「わたしは何代目なのだろう」と考えを巡らせたことで、その言葉を覚えていたのだと思う。 そして、その言葉は、読書好きの娘が、本にのめり込んでいる姿をみるたびに、ああ、こういう子こそ、作家になるのかもしれないな、と

          #31 作家は三代で作られる?

          #30 惚れないわけがない

          はじめて田中泯さんを見たのは、百田尚樹さん原作の映画『永遠のゼロ』だった。 スクリーンに映った瞬間、 「誰だろ、この人……」 と、一瞬で目を奪われた。 箔のある目力なのか、佇まいから醸し出される、重い存在感なのか……。 名も知らぬ俳優の演技を追う間に、着流し姿で煙草をくゆらすシーンで、目だけでなく、心ごと奪われた。 紫煙が生きもののように、彼のまわりをたゆたう。 まるで、彼が、その場の空気さえ動かしているかのように。 やばい、この人……。 何者よ……。 そんな思いを抱

          #30 惚れないわけがない

          #29 何かが少しでもずれてたら、逝ってたかも……

          何かが少しでもずれていたら、逝ってたかも……。 程度の差こそあれ、誰でもこのような体験のひとつやふたつあるだろう。 わたしの中でもそのような体験はいくつかあり、そのどれもが幼少期であるにも関わらず、記憶が色濃く残っていたりするのが不思議だなぁと思っているのだが、 「なぜ、他の記憶よりも残っているのだろうか……」 と考えると、おおむね、ぼんやりと空想にふけって生きていた幼少期(今もほぼ変わらないが)のわたしの、のんびりと穏やかに過ぎゆく日常の中で、やはりそれらの一瞬は、特別な

          #29 何かが少しでもずれてたら、逝ってたかも……

          #28 甘い束縛と寂しい愛情

          クレマチスが好き。 リンドウと同じくらい。 どちらも、紫色を基調としたものが好き。 クレマチスの花言葉は「精神の美」「心の美しさ」「旅人の喜び」「甘い束縛」「策略」らしい。 「策略」って……と思うが、意味も様々あるらしいので、興味がある方は調べてくださいな。開花期は5~10月。 リンドウの花言葉は、「あなたの悲しみに寄り添う」「寂しい愛情」「正義」「誠実」などがあり、わたしが好きな紫色のリンドウに関しては「満ちた自信」というものもあるらしい。 うん、いいね。しかも漢字では

          #28 甘い束縛と寂しい愛情