絡まれ体質とその改善のお話。無意識に危険を避けるということ。
一時期、道とかでやたら変な人に絡まれる時期があった。
普通に駅前の混んだ道を歩いていて、運悪く人とぶつかりそうになって避けたらチッと舌打ちをされ大きなため息をつかれたとか、公的施設のピアノ練習室を借りにいって、ひとつしかない予約機を長時間独占しているおじさんがいて長蛇の列になっていたので「急いでるんですが…」と話しかけると怒り出して最終的に「バカ!」と怒鳴られたとか(今思えば他の話しかけ方があったかなとも思うが)、自転車でほかの自転車を抜いたら、その人がわざわざ追いかけてきてmy自転車を蹴られた(こっちは一人でなく男性と一緒にいたのに…)とか、今思えば「何ソレ?」と思いたくなるような出来事に、たびたび遭遇していた。
行動範囲が、今と比べて多少治安が悪いところを通ることがあったかなとか、夜に出歩いていたかなとか思うところもなくはないけれども、それにしても、そんな目に遭う?と自分で自分に問いたいような不運な出来事の数々であった。
あるとき。友人ととある観光地のレストランを訪れた時であった。友人と話しながら歩いていて、何も考えずに、その場に飾られていたガラスのオブジェに「カワイー」と近づいた。すると、横にいた変なおっさんが、何と言われたのかはよく覚えていないが、何かとにかく絡んできた。「うるさい」とかそういうことだったかもしれない。血気盛んだった私は「いけないですか」とかなんとか言い返し、2、3言葉を交わしたあと、ひどく不愉快になり去ったのだった。
ただこの出来事、友人には「変なおっさんがいるのは傍目にわかっていたのに、Kumikoが勝手に吸い寄せられていった」ように見えたらしい。後に、「あの時は、Kumikoが自分から絡まれに行ったようにしか見えなかった。衝撃的だった」と言われた。
確かに思い起こすと、私がガラスのオブジェを見る前から、何かブツブツ言ってる変なおっさんは確かにそこにいたのだ。でもまあ、ブツブツ言ってるくらいであれば人畜無害だろうと、特に何の警戒もしなかった。むしろ、変に警戒することが、その人に対して失礼だと思ってる面さえあった。その結果のこの行動だ。普通に考えれば、確かにブツブツ独り言をいってるおっさんは何を言い出すかわからないので、自分からわざわざ近づかないほうがいい。なぜだか私はそこを、無意識的に積極的に、勇猛果敢に攻め入ったのであった。
私はこの一件についていたく反省した。少しでも「なんか変だな」と思うものには、過剰なほどでも対策をするようにし、積極的に避けるようにした。結果、変な人に絡まれる体質は改善し、そういう経験はほぼ無くなった。私はあの頃運が悪くて変な人に絡まれてると思っていたけれど、本当は無意識にそういう人たちに絡まれに行ったのであった。「絡まれにくい人」ではなく「絡まれやすい人」、ひょっとしたら「自ら絡まれに行く人」だったのだ。
その友人が先日「Kumikoはあのとき、そこに変な奴がいることを無意識的にわかっていたのに、わざわざ近づいて行った。これを考えたときに、例えば通り魔に刺されるとか事故に巻き込まれるとかいうことも、実は人は自分から無意識に近づいている可能性がある。」と、語った。これは被害者にとっては実に厳しい指摘だ。科学的な考え方とも言い難い。けれども、確かにそのように解釈することはできる。「運が悪い」せいではなく、無意識も含めた自分の責任。とても主体性のある考え方だ。
そのうえで、変なことに早めに気付けるように日々感覚を磨き、危険察知アンテナの精度を上げ、反応したらすぐに避け、変な人に目をつけられないようにし、むしろ追い返し、良いものを引き寄せられる姿勢で生きていくのは大切だなと、思った。絡まれるというのは周りの問題でなく自分自身の問題であると、肝に銘じたのであった。