例えば・・テクノロジーによって、恋愛行動と生殖行動は完全分離するのかな?
今日の日経新聞に、未来の出産という記事が掲載されていた。日本政府は異次元の少子化対策という言葉を使っているが、こういう記事の内容の方がよっぽど異次元な感じがする。
この記事に書かれているような、夫婦+第三者の女性の卵子を使った妊娠の方法については、6年前くらいに、夏のダボス会議で知り合った中国と米国で病院を展開しているというお医者さんから聞いたことがある。当時の話では、メキシコでは規制がないので、メキシコで第三者の女性の卵子を得て、受精をさせるという話だった。
こういう技術が誰にとっても可能になったら、子供と親の権利関係とかどうなっちゃうんだろうと思ったことを思い出す。
当時、同じく夏のダボス会議で出会った研究者の方から「クリスパー・キャス9」という遺伝子編集技術によって、肉厚の魚などを生み出すことができるようになっている話を聞いて、もはやオリンピックなどのドーピング検査では引っかからない筋肉増強ができる時代になったことを実感した。後天的にも遺伝子編集ができるようになれば、本当に世界一になりたいと思った選手は、遺伝子編集してでも筋肉をつけたいと思う人も出てくるだろうと思うし、普通のドーピング検査では見抜けないはず。
テクノロジーの進化は著しい。
この3年ほど、政府のムーンショット目標1のアドバイザーをしている。この研究開発の目標は、「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」である。具体的には、人間の身代わりとなるアバターやロボットなどを社会に実装するための活動で、技術的な開発だけでなく、社会的受容性や倫理、経済的な価値なども議論しながら開発していく。
この目標に参加し、2050年を見据えて議論をしていると、テクノロジーの進化は、私たちの生活を便利にしたり、可能性を開いてくれたりするだけではなく、私たちの価値観そのものを大きく変えてしまう可能性を感じる。
「道具は意識を進化させる」という言葉をどこかで聞いた記憶があるが、まさに、テクノロジーは私たちの意識を変えると思う。
例えば、アバターの活用が当たり前になった時には、サイバー空間では、人間の性別や見た目は自由に変えられるし、性別に関係なく恋に落ちたりすることだってできる。そうした時に、生殖活動って、どうなるんだろうか・・ってふと思う。そうして、今日の日経新聞の記事のように、オスの細胞から卵子を作り子供を生み出す技術や人工子宮の技術の話を聞くと、将来、「人間同士が愛し合う恋愛」と「次世代を産む生殖活動」は全く分離された行為になってしまうのではないかとも思う。
人は便利で有利な道具を見つけたら、きっとそれを使い始めると思う。パソコンだってスマホだって、昔でいえば自動車だって、人はどんどんテクノロジーの発明から生まれた道具を使いこなしてきた。同時に、その道具によって引き起こされる不都合に対しても使い方の制限などのルールの制定によって、最小限に抑える努力と工夫をしてきた。
これからもきっとそうであるべきだと思うけど、このテクノロジーの発展の速さに些か不安を感じる。
EUはその点がとても進んでいると思う。科学者だけではなく、政治家だけではなく、資本家だけではなく、哲学者や社会学者、市民など、様々な立場の人々が一緒にテクノロジーの社会実装について議論し、ルール策定の基盤を作っている。
日本は結果、EUや米国の作ったルールに追随するのかもしれないけれど、でもやっぱり、それでも、日本としてはどう考えるのかを議論しておきたい。JSTやHITEでも、すでに行われているけれど、テクノロジーの社会実装に関するマルティステイクホルダーとの対話の場作りに関わりたいなと思う今日この頃です。