5つの思いやり
● 5つの思いやり ●
"思いやり(Compassion)"には、5つのレベルがあると、ガボール・マテ(カナダの医師)が教えてくれました。
普通の思いやり
これは動物にもあるもので、例えばネズミは他のネズミが苦しんでいると、その苦しみを感じることができる。
うちには犬が2匹いるけど、2匹を見ていると犬の間でもあると感じる。
動物も人間にもある、思いやり。相手の感情に気づくこと。
分かろうとする思いやり
愛するためには、理解することが必要。
分かろう、理解しよう、ということなしに、愛することはできない。
「この人の困難を解決してやろう」という考え方ではなく、「なぜ、この人は苦しんでいるのだろう」と考えてみること。
"相手は自分と変わらない"ということに気づく思いやり
自分の中で解決していないことを、相手の中で解決しようとしていないだろうか?
例えば、自分がカウンセラーや精神科医であったとしても。
可能性という思いやり
人には、「そうしないとやってこれなかった」、ということがある。
それがその人の生き方になり、それはその人の、人生への「適応 (adaptation)」だったのかもしれない。
例えば何かに依存している人だって、きっと依存しないと、やってこれなかったのだ。
そんな人たちは、自分のことをネガティブに捉えている。
自分は問題が多いと捉えている。
あなたは問題があるその人を、「問題がある人」ではなく、「そのままのその人」として見ることができるだろうか?
「そのままのその人」として、そこにある可能性とは何だろう。
"希望(hope)"と"可能性(possibility)"。
"希望"は未来に存在するが、"可能性"は「今」に存在する。
あなたは他者のことばかりではなく、自分の可能性についても見つめることが必要だ。それは「自分に取り組む」ということでもある。
真実への思いやり
自分の真実を知ることは、自分を自由にしてくれる。
真実に直面することなしに、癒しは起こらない。
人は自分のことを、恥だと思うことがある。
悪いことをして恥ずかしいと思うのであれば、それは行動を改めれば良いことだ。
だけど、自分自身、自分の存在そのものが恥だと感じる時、それは人にとって、最悪の状態だと言えるかもしれない。
自分が恥だと思う時、人は嘘をつくのです。
恥を感じたくないので、嘘をついて、隠そうとする。
だけど隠そうとする限り、本当の自分(真実)を見ることはできない。
真実とは、「自分は傷ついている」ということであり、そこには痛みがあるかもしれない。
痛みを恐れずに、その痛みを表面化させること。
誰か他の人の中に、そんな痛みがある時、それを、治してあげようと、しないでいること。
「他者を良くしたい」、という思いは、相手のニーズではなく、自分のニーズだ。
そうではなくて、ただ、空間をホールドすること。
その痛み、苦しみがあっても良いという空間を、ホールドすること。
思いやりとは、評価や批判をすることではない。
そこに思いやりがある時、人はやっと、真実を見ることができる。
その人から、痛みや苦しみを取り上げてはいけない。
痛みがないと、その痛みを直視することができないと、癒しは起こらない。
その人には、痛みをホールドする力がある。
そのための、空間をホールドするということ・・・。
補足
この記事は、私がガボール・マテによる Compassionate Inquiry のトレーニングコースで学んだことのひとつを取り上げています。