自分の認知のズレ?言語と文化で変わる感情反応の不思議
最近、ちょっと困ってることがあります。
それは、わたしの考え方の問題です。カッコイイ言い方をするとわたしの認知がズレてしまってるように思うのです。
例えば、誰かから「もう少しゆっくり話してください」と言われると、あなたの話し方は早すぎると批判されているように感じてしまいます。
相手は、ただ要望を伝えただけなのでしょう。でも、何だか批判されたように感じて腹が立つのです。
そして、この現象はいつも生じるわけではありません。特定の状況でのみ発生します。
今のところ、中国人が日本語で要望を伝えてくる場合と、欧米人が英語でメールやメッセンジャーアプリなどを使う場合に限られます。
日本人が日本語で話してる場合、また相手が誰であれ中国語でコミュニケーションを取っている場合には、素直に受け止められます。
加えて、欧米人と英語で話しているときも問題なく受け止められます。
では、どうして中国人が日本語で話す場合と、英語のテキストを読むときのみ、ナイーブになってしまうのでしょうか?
ちょっと考えてみることにしました。
まず英語のほうです。
これは恐らくアメリカ人やカナダ人のコミュニケーション方法と関係がありそうです。
彼らは、とにかく簡潔に説明する傾向があります。
要望があっても、要望だけ伝えてくることがほとんどです。その方法にストレスを感じてしまうように思います。
こちらの事情や感情などを無視しているわけではないのでしょうが、気遣う言葉などがすっかりなかったり、あっても素っ気ないように感じるのが理由だと思います。
ただ、彼らと会って話すと、表情豊かなことがほとんどで、気楽にコミュニケーションとれます。
それで、英語を詳しく知っているわけではありませんが、英語を読むときには行間を読むことが求められそうです。それは日本語も同じですね。
さて、問題は中国人が話す日本語にムカつく問題です。(もはや負の感情を隠そうとしてない・・・
こちらは、難しいです。
恐らくこれも英語のテキストを読むときと同じく、情報量が不足しているからではないかと思います。
日本語が使われているけど、考え方は中国人そのもの。そのギャップにイラついてくるのかもしれません。
加えて、中国人が日本語を話すとき、日本人よりも声量が大きいのもウザく感じるのかも・・・
とにかく、素直になれるのも、とげとげしくなるのも理由があると思います。
それを性格が悪いとか、自分はそういう気質だと決めつけて諦めてしまったりせず、分析をすすめると良いのではと思います。
もちろん、分析したところで何の変化もないかもしれません。
でも、それでもいいんです。
とにかく、自分は○○なんでと決めつけてないで、そこには理由はあると考えたほうが気持ちも楽になります。
そして、もしかして遺伝子レベルで染みついた弱点があったとしても、それに抗おうとするところにロマンを感じちゃいます。
何のロマンかは知らんけど(2回目
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜