中国人の家で鶏鍋を食べて、もっと生活に彩りをと思った話
昨日、中国人友人に自宅に招かれて鍋をいただきました。
鶏の鍋でした。
話を聞くと、大家さんが鶏を飼っていて、日本人を食事に誘う話をしたら一羽提供してくれたそうです。
つまり、建物の一階で買われていた、あの鶏さんたちの一羽がわたしたちのために貴い犠牲を払ってくれたわけです。
わたしは美味しくいただけましたが、妻氏は衝撃を受けたらしく食はあまり進まないようでした。
妻氏に、スーパーで買う鶏肉だって同じだよと話すと、それはわかってるけど何となくね・・・と複雑そうな顔をしていました。
それにしても、客をもてなすために生きた鶏から準備するって、日本でもあるのかなと思いました。
思い出してみると、子どものころ、祖父母の家では鶏を飼っていて、卵をとったり食べたりしたりしてたと思います。
もちろん、日本でもそういう食文化があると思いますが、少なくとも自分の生活圏では見かけなかったと思います。
そんなわけで、日本ではなかなか味わうことのできないことを中国で体験できて良かったなと思います。
そういえば、先日 中国で美味しいものに出会えないと書きましたが、昨日の食事は素晴らしかったです。
ときどきは普段と違うものを食べるようしたほうが、人生がもっと楽しくなりそうです。
私は普段、同じものを食べたり着たりすることが多く、変化をあまり好まない性格です。
例えば、食べ物に関しても新しい挑戦は少なめ。しかし、今回の鍋体験で、変化がもたらす楽しさを改めて感じました。
わたしが生活で変化を好まないのは、そういったライフスタイルは脳に負担が少なくて、より重要なことに思考力を振り分けられると思ってたからです。
でも、そもそも脳が疲れ果てて考えることができないほど追い込まれているわけでもないので、生活の仕方ももうすこし彩りのあるものにしたほうが良さそうです。
そうしないと、思考力や決断力が使われずに劣化してしまいそうです。
まずは華村さんにお勧めに従って、料理でもしてみようかなと思っています。
その第一歩として、包丁でも研ごうかなと思ったけど、今日は断水しているので明日から新しいことを始めようと思います。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜