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日本の『お礼は3回』、中国の『なんでそんなに?』 — 文化の違いから気づいたこと
「ある」の反対は「ない」。これは当然のことですが、人間関係やコミュニケーションにおいては、単純にそうとは言い切れません。
たとえば、友人から連絡があれば嬉しい。でも、連絡がないと寂しい。
特にそれが恋人や親しい友人であれば、連絡がないことがただの寂しさにとどまらず、最後には相手を責めたり憎んだりすることさえあります。
本来「ない」は「ない」で終わるはずなのに、そこに感情が生まれることで、「ないのにある」になってしまう。人間の感情は、そんなふうにシンプルではありません。
「連絡がないのは忙しいからだろう」と気にしなければ、もっと気楽に過ごせるのに、そう割り切れる人ばかりではないのが現実です。
特に日本人はこの「連絡がある・ない」に敏感すぎるように感じます(主語が大きすぎるので注意!)
子どもの頃、母に「誰かに何かをしてもらったら、3回はお礼を言いなさい」と教えられました。
たとえば食事をご馳走になったら、別れ際に1回、帰宅後にメッセージで1回、さらに次に会ったときにもう1回。感謝を伝えることで相手を喜ばせる、というのが母の考えでした。
確かに、お礼のメッセージをもらうと嬉しい。でも、何度も繰り返されると、ちょっと気恥ずかしいというか、形式的すぎて距離を感じることもあります。
逆に、お礼を言われなくても、楽しい時間を共有できた時点で、それがすでにお礼だと感じることもあります。
とはいえ、「お礼を言わないなんて恩知らずだ」と感じる人もいるので、やはり日本ではお礼の文化が強いのだろうと思います。
だからこそ、母は3回もお礼を言うようにしつけたのかもしれません。
一方、中国では「繰り返しお礼を言う」という習慣はほとんどありません。(また主語が大きい!でも、傾向としてはそう感じます)
以前、日本にいたときの感覚で、友人に何度かお礼を伝えたら、「友達なのに、どうしてそんなにかしこまるの?」と驚かれたことがありました。
中国では、友人同士ならお互いにご馳走し合い、楽しく過ごすのが当然。
お礼の言葉にこだわるよりも、次の機会に自分が相手をご馳走するなど、行動で感謝を示すのが自然です。
ただし、対等な関係ならそれでいいけれど、もし経済格差がある場合は話が変わります。
経済的に余裕のある人がご馳走するのが当たり前で、受け取る側が何度もお礼を言うと、むしろ相手に気を遣わせてしまうこともある。
こうした違いを知ると、同じアジアでも人間関係の作り方がずいぶん異なるものだなと実感します。
こうした経験を通じて、私は「ある」は「ある」、「ない」は「ない」と、もっとシンプルに考えられるようになりたいと思うようになりました。
嬉しいニュースが届いたら素直に喜び、悲しいニュースが届いたら落ち込む。
でも、ニュースそのものが届かないことについては、いちいち気にしない。
もし、期待していた連絡が来なくても、そこに悪意を見出すのではなく、「うっかり忘れていたのかも」「ただ都合が悪かっただけかも」と、軽く受け流せるようになれたら楽だろうなと思います。
人間関係において、「ないのにある」と感じてしまうのは、もしかすると自分の期待が作り出した幻想なのかもしれません。
それならば、最初から「ないものはない」と思えるほうが、きっと心が自由になれるのでしょう。
とはいえ、感情って強い作用があるので、理想の自分を思い浮かべることができても、心をコントロールするのは難しいです。
難しいと言うことを認めて、今日も健やかにできることに取り組もうと思っています。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜
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