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家庭環境の「異常さ」から「心を閉ざした責任感が強い小学生」になった私

今回は、自分の家庭が「機能不全家族」として「異常」だと気付いた小学校時代の私は「心を閉ざした責任感が強い小学生」になり、その影響は今も残っている、という記事です。

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私が生まれ育った家庭は、いわゆる「機能不全家族」です
父(数年前に他界)はアルコール依存症、母は精神病(病名はあえてぼかします)です。
具体的には、次のような家庭問題を抱えていました。
・父は、お酒がらみのトラブルをしょっちゅう起こしていた
・母は、就労できない心身状態で、片づけることが苦手なため、自宅はゴミ屋敷状態だった
・夫婦げんかが絶えなかった
・両親の障害・病気の状態について、医療機関に受診していなかった
・家計は常に赤字で、借金がかさんでいた
このような家庭の第一子として生まれてきたのが、私です。

幼い頃の記憶をたどると、小学校低学年くらいまでは、近所の友達と毎日遊んでいました。
当時は「ファミコン」が大流行でしたので、毎日だれかの家でファミコンで遊ぶのが定番でした。
この頃は、自分の家庭が他の友達の家庭とかなり違っていることに、まだ気付いてはいませんでした。

ですが、小学校高学年になると、少しずつ、自分の家庭の「異常さ」が認識できるようになりました。

友達はみんなファミコンを持っているのに、何でウチだけないの?

友達を家に招きたいけど、そうできないくらい汚すぎるのは、何で?

友達の家ではウチみたいに夫婦げんかが多くないようだけど、どうして?

次から次へと湧き上がる、ウチに対しての疑問。
そして、ウチの「異常さ」がつらいのに、そのつらさを友達には話せない。
だって、話したところでわかってくれそうにないから…。
いつしか、「自分がしっかりしていなければこの家庭は潰れる…」「自分のつらさをわかってくれなさそうな人とは関わりたくない!」と思うようになっていました。
その結果、私は「心を閉ざした責任感が強い小学生」となっていたのです。

小学校時代の私の家庭は、ヨノナカの〈アタリマエ〉な家庭像からは、随分とかけ離れていました。

赤字にならないように家計をやり繰りし、子どもが欲しがっているものは買ってあげる、という〈アタリマエ〉

自力でできなければだれかの助けを借りて、居住環境の衛生状態を保つ、という〈アタリマエ〉

夫婦げんかするにしても、子どもの前ではしないように配慮する、という〈アタリマエ〉

このような〈アタリマエ〉は、必ずしもどの家庭にもあてはまるとは限らないでしょう。
ですが、当時の私は、〈アタリマエ〉からほど遠い家庭環境が、つらくてたまりませんでした。
いくら解決したくても、小学生には到底解決できるレベルの問題ではありませんでしたから。

「心を閉ざした責任感が強い小学生」だった私ですが、その性質は今でも自分の中に残っています。
「心を閉ざす」という性質は、「自分の深い話、だれにもわかってもらえないよなぁ…」という不安として。
「責任感が強い」という性質は、「無理をしてでも頑張らなくちゃ…」という強迫観念として。
家族関係に行き詰まって心も身体もダウンした今になってようやく、自分がこれまで抱えてきた不安や強迫観念と正面から向き合い、自分で自分を慰めながらマイペースで生活したいと思えるようになりました。
過去の体験って、こんなにも自分を縛り付けていたんだ…と、ゾッとします。

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こんな人生を送ってきた私だからこそ、同じようなつらさを抱えている人に伝えられることがあると思っています。
「つらさ」をだれかと比べ、「自分のつらさは○○さんに比べたら大したことないや」などと思い込まないでください。
つらいものは、誰が何と言おうと、つらいのです。
そのつらさを、まずは自分自身で慰めてあげてください。
そして、だれかに助けを求めてください。

この記事が「助け」の一つになることを、切に願います。

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