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熊野通信アーカイブス(その弐拾) :円環を学ぶ熊野再生

今月6月10日(注:2006年当時)は「時の記念日」ですが、皆さんは「時」のイメージを、どのように捉らえられているでしょうか?今回は、千年程前に時をかけて歩き、時を理解し自らの再生を目指した熊野詣での意義をお伝えします。 

すべてはめぐっている・・!

いつからそこに立っているんだろう?・・・ふと、そのように思える名も無き老木が、熊野にはたくさんあります。そしてその大木には、数知れない粘菌やコケ・微生物や昆虫・鳥や小動物達が、互いに補完しあい生命を共生し、千年以上もの時を超えてそれぞれの命を再生し続けています。

その老木の年輪に刻まれた、悠久の時の記憶を見ればわかりますが「時の世界」も、前回お話ししました「光の世界」「色の世界」と同じように、円環構造になっているのです。ちょうどそれは、私達が日常何気なく使っている、暦の世・紀・年・月・週・日の日々の周期が、グルグルと巡っているように・・・。

線形の発想から循環の発想へ・・!

しかし私達は普段、この時間の意識を「過ぎ去りし時間=過去」・現在=今・「未来=未だ来ない時間」と、直線的・平面的に捉え、その意識の時差によってついつい時間を無駄に消費し、目に見えない大切な生命の時を失っていることに、あまり気付いていないのです。

そのためには、定期的に同じ事が繰り返される中での、ある状態に一度循環して戻るまでの時間・期間をあらわす「周期」を理解する必要があります。回転周期で言いますと、極小のミクロ世界では「素粒子」が、約10の-23乗(秒)で周り、反対に極大のマクロ世界では、銀河系が約10の+23乗(秒)で周っているのです。

どちらも私達の肉眼では到底見えませんが、素粒子・原子・人間・太陽系・銀河系の大きさ(cm)と回転周期(秒)は、比例的に調和し整然とした姿で、階層性をもってこの宇宙に存在し円環運動をしているのです。

自然に導かれて発見する旅・・!

そうして考えてみますと、私達の生死の時間や今生きている生態環境がわかってくると思います。特に今まで、直線的に捉えがちの「人生における死」の問題も、円環の周期という視点でとらえると、感じ方が変わってくると思います。

「道」と言う直線的な熊野古道を歩きながらも、自然に森羅万象の宇宙の構造を教えられ、自分の命の循環再生を学ぶ・・・熊野詣でとは、まさにこのことを悟る道であり、日常生活の個人的なドラマや出来事などの、こまごまとした状況から抜け出して、自分がいかなる存在か?を、自然の存在に導かれて発見する旅なのです。

NPO法人 熊野生流倶楽部 代表 満仲雄二

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